人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)
介護中なのに入院することになった私
母(84歳)の介護をしていた私ですが、突然、胃痛が激しくなり、嘔吐を繰り返しました。
ちょうど1年前の春も入院していました。その時の主な原因は、介護によるストレスが大きかったようです。医師から今回も入院の指示がありました。
その時自宅では、少し目をはなすと、母がいなくなったネコを探しにフラフラと外に出ていくというとても危ない状況で、入院だけは・・と思っていたのですが、体がまったく言うことをききません。
しかも、腹膜炎のおそれがあるとのことで緊急手術をおこなうことになってしまいました。どうにもならず入院手術・・
私の血管が細いのは母に似ています。点滴で私の腕は真っ黒になってしまいました。
母の介護をどうするか・・・まずは、私が入院したことをケアマネジャーに連絡しました。ケアマネジャーは、可能な限り、母が介護施設に行けるよう計画を作り直してくれました。
糖尿病悪化・血尿で入院(私の不安が的中)
私が入院して1週間後、ケアマネジャーから連絡がありました。食欲旺盛の母が食事を残すことが多くなり、リハビリパンツに出血のあとが見られるとのことでした。
排便時の出血も疑われるため、確認してくれたようですが、そうではなかったようです。
「血尿かもしれないので産婦人科に連れていきましょうか?」とケアマネジャーが言ってくださいました。頼るしかなく、お願いして翌日産婦人科に連れて行ってくれたのです。
産婦人科医師より「特に問題はない。一緒に子宮頸がんの検査もしたので、その結果がでたらお知らせします。その結果に問題がないようなら少しの出血であれば一年間は大丈夫です。」との説明だったそうです。
正直、「その結果と、産婦人科の診察だけで大丈夫だろうか・・」という不安があり、入院中とはいえ、何もできないことにいら立ちがありました。
その私の不安は的中してしまったのです。
産婦人科受診から2日後、デイサービスから電話がありました。出血も続いていたのですが、血糖値を測定したら測定器がエラー(測定不可)になり、便も黒く小豆のような固形があるとのことでした。
更に、母の平均体重57キロに対し、今は51.7キロしかないのも心配ですと言う報告だったのです。
他にも、食べ方を忘れているようで、3口食べてずっとモグモグして飲み込まなかったり、血圧も92-40しかないとう症状があるとのことでした。
母入院(糖尿病悪化・血尿)
家族で話し合い、翌日、夫と息子の二人で母を病院へ連れていくことになりました。
当日の朝、病院に行くことを母に説明すると、意外にも素直に「うん」と返事したようですが、ソファーに座っていた母を、支えながら立たせようとすると、ピクリとも動かず、ぐったりした母を抱っこしたまま車まで連れて行き、何とか病院に行けたという報告がありました。
診察結果、即入院の指示でした。
入院生活は筋力もおち、歩行訓練もできなくなるため、自分の足で歩くことをどんどん奪っていきます。このあとから母は入退院を繰り返しますが、認知症も入院するたびに進行していったように思います。
その反面、私は、母が入院することになって、少しほっとした部分もありました。入院していたら母の治療や見守りも安心できます。
それに、私がいない状態で、これ以上の家族への負担は限界だと思っていたからです。
主治医より、「膀胱壁が硬くなっているため血尿はそれが原因。血糖値が異常に高いことが、体重が急激に減った原因。腎臓も少し悪い。血糖コントロールができて白血球が下がったら退院することも可能になるかもしれないが、完全に元の状態に戻るかはわからない。」との説明でした。
それは、産婦人科を受診して3日後のことです。なぜ産婦人科では、その原因がわからなかったのか・・それぞれの病院で検査する内容が違うからなのか・・今でもわかりません。
かかりつけの病院に、たくさんの「科」があれば良いのですが、そうではない場合、病院選びはとても重要だと思います。
退院当日、母の病院に行った私
私が入院することになったのは、想定外でしたが、悪いことばかりではなく、介護から解放された期間でもありました。入院中、今までの介護へのいら立ちに対し、落ち着いて考えることができました。
「無理にしなくていいことはしない」「母に笑って話しかける」「急がず1つ1つゆっくりと」「あれもこれもと同時に考えない」そんなことが頭に浮かび、自分に余裕をもてば、もっと母に寄り添えると感じました。
母が入院した翌日、私は退院し、そのまま母がいる病院へむかいました。
私が、2週間もそばにいなかったことなど、まったく覚えていない母・・・
「具合はどんな感じ?少しは楽になった?」と聞くと、「体がとても重かったけど軽くなった」と言いました。あまり、体調不良を伝えない母でしたが、この時は、さすがに辛かったようです。
母の体には管が入れてあり、たまっている尿を見ると、おどろくほど真っ赤でした。
主治医から「高齢者は急に容態が急変することがあるため、延命治療をどうするかを考えておいてください」と言われました。とても複雑な気持ちです。
だんだんと母の人生の終わりを考えざるを得ない状況になってきました。
血尿の色がだんだん薄くなる
真っ赤だった血尿は、一日一日薄くなっていき、入院後1週間ほどでほとんどなくなりました。 母の気分もだんだん良くなってきたようで、ベッドを起こし、座っておしゃべりができるようになりました。
入院後、何も口にしていない母でしたが、「飲み込みのテストをして大丈夫そうだったら少しずつ食事ができるようになります」と看護師から説明がありました。
飲み込みのテストは高齢者には必要なことで、飲み込む時にむせてしまうと肺炎になる可能性があるからだそうです。
テストにも合格し、ミキサー食を食べられるようになった時、見た限りではとてもおいしいそうとは思えなかったのですが、数日間、何も食べていない母は「ここのご飯はとてもおいしいよ!」と言ってパクパク食べていました。
食べることを思い出したようで、急に「飴が食べたい」と言ったことがあります。さすがに飴は食べさせられないので、看護師さんに相談して飴のかわりに小さな氷を口に入れたのです。
「おいしい!」と言いながら口の中で氷を転がしていました。
ハミガキ粉をクリームと思って・・
病室に行った時、いつもタオルをお湯で濡らして母の顔を拭いています。この日も母の顔を拭こうとしたのですが、母からスーっとしたにおいを感じました。ハミガキ粉のにおいです。
まわりを見ると、母のお尻の横にハミガキ粉のチューブがありました。母は、クリームと思って、ハミガキ粉を顔にぬっていたのです。
「これ顔につけた?」と母に聞くと「何もつけてない」と言います。肌の感じや、においさえも母はわからないようでした。
看護師さんにそのことを報告し、ハミガキ粉も含め、シャンプー、石鹸など、危ないものは母の手が届かないところに置くことになりました。 顔にぬることも問題ですが、まだ口に入れなかっただけでも良かったと思います。
主治医の説明
主治医より「今だから言えますが、入院した時は本当に危ない状態でした。今は、落ちついていますが、血尿については専門ではないので、退院できたら専門の泌尿器科を受診するようにしてください」との説明がありました。
病状によって、複数の病院に行かなければいけないことになります。病院が違えば、受信日も異なり、都度、母の負担も大きくなります。
かかり付けの病院を総合病院にすればよかったと感じました。