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介護者の心が本人の心を変え、介護の負担を変える

介護者の心が本人の心を変え、介護の負担を変える

長期にわたって次第に進行する認知症(旧痴呆症)の症状。
家庭内の危険回避や排泄処理、徘徊などのため一瞬の油断も許されない介護者は、24時間体制で本人につきっきりで介護するケースも多いです。介護者自身の時間など全くなく、せめて少しでも睡眠や休息がとれればという極限状態の中、もはやこれ以上介護を続けるのは無理だと感じてしまいます。

お年寄りがお年寄りを介護する、いわゆる「老々介護」も増えてきている昨今、このような状況は決して特別ではないでしょう。疲れ果てた介護者は、最悪の場合心中をも脳裏に描く場合があります。2007年に厚生労働省の研究班によって、65歳以上の高齢介護者の3割以上の介護者が「死にたい」という願いを抱えながら過ごしている、という衝撃的な報告書が作成されました。

本人のためにしているはずなのに、本人の喜ぶ反応も無く、それどころかますます不機嫌になったり返事もしなくなったりしてくる場合があります。いったい何のために、誰のために介護しているのか、と全て投げ出したくなるのも無理はありません。

しかし同時に、以下のような報告もあるのです。

 

(ここから「誤解だらけの認知症」市川衛氏著 より抜粋して引用。
登場する方の名前はイニシャルに変えさせて頂きました)

認知症の妻の様子が変わる

妻・A子さん(84歳)の介護をする夫・Sさん(87歳)の事例です。おしどり夫婦としても有名だったようですが、A子さんは3年前にアルツハイマー病による認知症と診断されました。

認知症になって以来、A子さんは得意だった洗濯や料理ができなくなってきました。しかし、A子さんは自分が料理ができなくなっていることを理解できません。それまでと同じように台所に立つのですが、鍋に火をかけたまま忘れたり、調味料の分量を間違えたりと、失敗を繰り返すようになります。

そこで、それまで洗濯機も電子レンジも触ったことが無かったSさんが、意を決して台所に立つことにしました。台所に経つ夫を見たA子さんは「私がやります」と言いますが、Sさんは「包丁を使うと危ないから」と座っているように優しく諭します。

そうして診断から2年ほど経ってきたとき、Sさんの優しげな気遣いを裏切るかのような出来事が起こり始めます。A子さんは一日中ボーっと椅子に座っていたり、話しかけても返事をしなかったり、ふさぎこみ、入浴しない日が続くので風呂に入るように言うと激しく拒否します。

さらにSさんは、A子さんの寝室のマットレスの下から、汚物まみれの大量の下着を発見するに至ります。
それは、A子さんが失禁を悟られないように隠しておいて溜まったものでした。Sさんは、ショックを受けてしまいます。

良かれと思ってしていたことが、妻を無視することに

その後、自身の体調にも不安を覚えて、Sさんはデイサービスなどの介護サービスの利用を始めました。そうしてはじめて、介護の専門スタッフの意見を聞く機会を得たのですが、そのアドバイスは、「Sさんが良かれと思ってしていたことが、A子さんの変化の原因になっている
という、Sさんにとってはショッキングなものでした。A子さんを思いやってしたつもりのことが、A子さんの感情を無視した結果になっていた、というのです。

台所仕事を「私がやります」と言っていたのにやらせてくれない、A子さんにはこの悲しみの感情が残ってしまったのです。認知症では、「何を言われたか」を忘れたとしても、そのとき感じた感情だけは残ってしまうものです。

叱るのをやめ、返事を続ける

専門家のアドバイスのもと、Sさんは、A子さんの「感情」を何よりも大事にしようと気持ちを改めました。

料理は2人で行うようにします。すると、もちろん複雑なことはできないにしろ、A子さんは野菜を刻むなどの長年繰り返してきた行動(手続き記憶)については、実に手際よく鮮やかにやってのけます。そしてボーっとしたりふさぎこんだ表情ではなく、どこか引き締まった表情をするようになったそうです。

またSさんは、日頃失敗したときなどについ叱ったり説得したりしていたことをやめました。 また、何度も同じことを言われて「いい加減にしろ!」と怒っていたのをやめ、何度同じことを言われても聞かれても、負けずに返事をするようにしました。

こうしてSさんが接し方を変えたことで、A子さんに大きな変化が起こりました。A子さんの表情が穏やかになり、笑顔が現れ、それまで繰り返していた夜間の失禁も(Sさんやスタッフの人の協力の中で)次第に減っていったのです。そして結果的に、Sさんの介護の負担が減っていったのです。

(ここまで「誤解だらけの認知症」市川衛氏著 より抜粋して引用)

 

認知症で感情がより敏感になる

認知症では、自分の名前や過去の出来事などを忘れたとしても、もともと持っている人格が消えることはないと言われています。もし症状によって別人格のような振る舞いをしたとしても、本来の人格はどこか奥のほうにしまわれているに違いないのです。これは、さまざまな研究結果によって出てきた答です。

また数年前にアメリカで発表された研究結果によると、アルツハイマー病によって認知症になった人は、「感情」を司る部分である「扁桃体」がより敏感になっているということです。つまり、感情的に敏感になり、健康な人が何も感じないようなことであっても感情を揺さぶらたり、より繊細になる、というものです。

「笑顔」が介護の負担を減らす

決してありきたりな表現ではなく、介護者の「笑顔」が認知症の人の感情を左右する報告が他にもあります。

極限状態で全てをしょい込んできた介護者が、あるとき体力的・精神的限界を超えて施設の利用を考えたとき、それまで無かった心の余裕が生まれました。つまり、「いざとなったら施設に入ってもらう」という救いができたためです。 このことで、介護者に「笑顔」が戻ってきました。

介護者に「笑顔」が戻ってくると、感情を乱して怒鳴ったりしていた認知症の人の感情も落ち着き、態度が穏やかなものに変わってきました。 そして、「笑顔」をかえしてくれたというものです。結局その介護者は、この時をきっかけに大きくストレスを減らすことになり、いまだ施設は利用していないそうです。 (施設の利用をしていないことを称賛しているのではなく、本人と介護者の負担が大きく減ったということをお伝えしています)

状況や介護者のこだわりによる自宅介護、自力介護が、症状の進行により、介護者にとって耐え難いほどの負担となっていけば、結果的に「本人にも負担を与える」ことになるでしょう。介護者が少しでも余裕を持って接することが本人のストレスも減らし、結果的に介護の負担を減らすことにつながるのです。