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認知症の医師の選び方

認知症の医師の選び方

認知症を「治す」ための治療法(薬物療法)に、「コウノメソッド」があります。すでに多くの認知症の人やその家族がこの療法に救われているようです。河野先生の書籍の内容などを元に、その要点を紹介します。

医療機関に行けば何とかなる、という考えは捨てる

100年の歴史を持つ内科学や精神医学などの分野に比べて、認知症はまだ診療の対象となってから20数年程度の研究の歴史の浅い分野であるようです。

このことから、認知症においては、全国どこの医師を尋ねてもある一定のレベルの診察を受けられるということが、最初から期待できないというのです。認知症では、「とりあえず医療機関に行けば何とかなる」という考えは間違っていると、河野先生は説きます。

認知症の診察を受けるには、おそらく「神経内科」「精神科」「老年科」「脳外科」などに行くことになると思いますが、これらの科にいる医師だからといって、あるいは大病院の教授だからといって、認知症の治療を得意としているとは限らないようです。つまり、「医師を肩書きで判断してはならない」ということです。

もし誤った診断や誤った薬の処方を受ければ、思いもよらぬ事態になる可能性もあり、医師選びによって患者と家族は天国と地獄の違いが出てくる可能性があるようです。

「認知症は治せない」と言っている医師に認知症を治すことはできない

多くの医師が、認知症は治すことができないと思っている、と河野先生は言います。そして、「認知症は治せない」と思っている医師に認知症を治すことはできない、と言います。

もちろん「認知症は治せない」という見解は、「認知症の中核症状は現時点では根治しない」というところからきている場合が多いのでしょうが、コウノメソッドでは中核症状だけにこだわらず、まず患者さんや家族を苦しめている「周辺症状」を取り除くために治療します。この周辺症状の劇的な改善を「治る」と定義するのです。

「認知症は治すことができない」と言っている医師は、(中核症状が完全に直らないので)認知症は治らないものと決め、周辺症状にも手を尽くして治療・改善の方向に向かおうとしない医師、を言うのでしょう。

最初から「治すのは無理だ」と思っている医師とそうでない医師とでは、全く違う結果を生むのは確かなことかもしれません。だから家族は、認知症の本人の世話を抱えながらで大変過酷なことかもしれませんが、認知症の患者を熱心に見てきた医師を探すしかないのです。それによって、本人と家族が救われるかどうかがかかっているのですから。

どうやって選んだらよいかわからない人は、以下の「コウノメソッド実践医」から選ぶとよいようです。

【家族の心得】認知症ではないと言った医師の診断を疑ってみる

家族から見て疑わしいのに医師が「認知症ではない」と言ったとしたら、必ず何を根拠にそう言ったのかを確かめる必要がある、と河野先生は説きます。

例えCTスキャンやMRIなどの画像検査で異常が見つからなかったとしても認知症でないとは言えず、認知症の鑑定で一番重要なのは、知能検査だと言います。画像検査で異常がなかったとしても、知能検査の点数が低かったとしたら認知症があるとみて間違いない、と河野先生は言うのです。

知能検査には例えば、改訂 長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)ミニメンタルステート検査(MMSE)時計の絵テストがあります。実際には、大病院であっても精神科や脳神経外科では知能検査をしてくれない場合が多いようですが、もし知能検査をしてくれないのなら、それ以上その医療機関に認知症の診断は期待できないようです。画像検査をしている場合、そのデータを持って別の認知症の専門医に見てもらうべきだ、と河野先生は言います。

医師の立場からすれば、知能検査については、確かに患者さんに面と向かって簡単な引き算をして検査するなどは、本人のプライドを傷つけることにつながるようでやりづらい面もわかると言います、しかしそれが、認知症治療の盲点であるとも言います。

河野先生によると、本来画像検査を受ける意味は「どんなタイプの認知症なのかを鑑別するためのもの」であるので、大事な検査であることに変わりはないようです。ただ、画像検査だけに頼って診断をすることが問題だと言うのです。また、認知症の中には血液検査で発見されるタイプもあるので、血液検査も大切だということです。

大事なのは、家族がおかしいと思ったら家族の直感・判断を信じることだと説きます。なぜならば、医師ではなく、身近な家族が一番本人を見ているからなのです。

【家族の心得】医者の選び方

河野先生による、医師の選び方をまとめます。

  • 「教授は名医」というのは間違い
    認知症の診断・治療ができるかどうかと肩書きとは、関係がない。
  • 安易に告知する医者はダメ
    本人は非常にナイーブな状態になっているので、傷つけると最悪の場合自ら命を絶ってしまうこともあった。そういう本人に認知症を安易に告知する医師はダメ。
  • うつ病と診断する医師に注意
    高齢者で表情が暗い場合は、認知症の方が可能性が高い。それをうつ病と診断する医師には注意が必要。
  • (症状を)年のせいだとする医師には注意
    必ず医師に「認知症ではない」と診断した根拠を聞く。
  • 家族が変だと思ったら、医師を変える
    厳しいことのようだが、医師に依存してはならない。家族の直感を信じる。医師よりも、いつも接している家族の方が本人をよく見ているから、家族の直感が一番正しいことがある。
  • 「家族の方が病気に詳しい」ということを否定する医師はダメ
    家族が日々本人と接していて、またよく認知症を学んでいる場合もある。だから、家族の方が認知症に詳しいことを否定するような医師はダメ。
  • 明るくて気の合う医師を選ぶ
  • 本人に受診させるために本人のプライドを傷つけず、協力してくれる医師を選ぶ
    本人に受診させるために、「役所からの指示です」「○○歳以上は記憶力検査が義務付けられています」などと口裏を合わせ、本人のプライドを傷つけないように、なおかつ診断を拒否されないように、あの手この手で協力してくれるような医師を選ぶ。
  • 薬害に注意
    かつて大先生で、薬の処方を間違えて患者を死の危険にさらした例があるという。「治らなければ薬を増やす」というのはこれまでの間違えた考え方。増やすばかりで薬を減らせない医師には、注意する。
  • 診断ができても治療ができなければダメ
    高額な装置があって検査をしても、治療法(薬の処方の間違い)をしていると、患者は歩けなくなり、寝たきりになり、危険な状態になる。治療ができる医師を選ぶ。
  • 介護している家族を優先して考えるような医師でないとダメ
    症状が悪化しているときは、まず何よりもそれを抑える処方をする医師でなければならない。医師や医療機関の都合で何日も放っておくようでは、家族は大変なことになる。
  • 認知症は刻々変化する場合もあるので、やむを得ない誤診や判断の変更はありえる

    これは家族の側への注意です。本来、診断がしづらく変化の激しい認知症を相手にするため、医師が刻々と判断を変える場合があるが、これはやむを得ないこと。医師の診断がころころ変わったといって一概に医師を責めるのは間違いなので、これは注意する必要があるようです。

    河野先生のコメントを咀嚼すると、むしろ刻々と変化する認知症に柔軟に対応する医師が優れた医師のようです(しかしこれも、診察時にしか本人に接しない医師にはやはり全てを把握するのは難しく、家族が治療の重要な部分を担う必要があるようです)(筆者)。

  • 河野先生のコミュニケションシートに記入して医師に見せてみる

    河野先生のコミュニケションシートに興味を示す医師は、信頼できる見込みあり、怒り出す医師には治療の見込みはない。

    河野先生の方針に賛同するかどうかに限らず、他者の意見に耳を傾けられない(患者の診療よりも自己のプライドが大事な)医師は、信頼に値しないものと受けとれます(筆者)。

  • 複数の医師の連携で治すことも考える。近いかかりつけ医と、遠い専門医の連携でもよい
    河野先生のもとには、フランスから来た有名な画家(90代)もいたといいます。薬の処方で滞在中によくなったそうです。地元の近くのかかりつけ医と、遠方でも専門医がいれば、その両者の連携による治療も有りだということです。