本人が思っていて言えないであろうこと
本人が思っていて言えないであろうこと
認知症の人は、日常的にどんなことを考えているのでしょうか。症状の進み具合にもよりますが、これまでできていたことができなくなったり、家族の顔を忘れてしまったら不安になり、言葉が思い出せなかったらその不安も表現できないでしょう。
近年では、認知症の人が自分の感じていることを話す機会が増えてきています。認知症の人が語ったことを基に、本人の気持ちを考えてみましょう。「認知症の人のつらい気持ちがわかる本」(杉山孝博氏著)から引用・参考にさせて頂きます。
認知症の人、本人の気持ちとは
家族・介護者にうまく言えない悲しみ
以下、あたかも本人が心の言葉を話しているように表現してみます。
「トイレの場所がわからなくなってしまい、家の中で迷い、探し回ってしまいます」
トイレの場所がわからなくなるとは、今までの自分ならあり得ないことだったと思います。だからこそ、誰にも言えなくて悩んでいるかもしれません。そんなはずはないのに、と一番混乱しているのは本人でしょう。その時に、わからないことを家族に怒られるのは、とても悲しいと感じるのではないでしょうか。
「知らない人に着替えさせられるのが恥ずかしくて、怒鳴ってしまいました」
症状が進んでくると、何度も顔を合わせる人すら覚えられなくなることがあります。毎日お世話をしている家族やヘルパーさんを、本人が「知らない人」だと思っているとしたら、排泄の手伝いや着替えをさせられるのも恐怖に感じるかもしれません。また、恥ずかしいという気持ちから怒りとなることもあるでしょう。
家族・介護者に本当は伝えたい喜び
口に出して言えなくても、心で思っているかもしれません。
「飲み物は、コーヒーとお茶のどちらがいいですか? と選ばせてくれることが嬉しい」
何にしますか?と聞かれても上手く答えられなくなることがあるようです。例えば「コーヒー」という単語が出てこない、などのように言葉を忘れてしまうことがあります。伝えられないからという前提で接するのではなく、本人が指さしなどで伝えられる方法を考えてもらえると、ささいなことですが「自分で選べる」という喜びが生まれるようです。
「失敗したけど、『大丈夫だよ』と言ってもらえて安心しました」
認知症の人には「自己有利の法則」といって、失敗を認めずにうそをついたりすることがあります。しかし、その失敗も記憶障害などによるものが多いと思います。失敗を責められるよりは、「大丈夫」の一言で安心できるのは誰もが理解できると思います。認知症によって怒られたり、嫌な顔をされることが多くなる本人にとっては、大丈夫という一言は何よりも安心するでしょう。そして、失敗に対して素直に謝ることもできるかもしれません。
認知症の人なりの喜怒哀楽に寄り添う
今までできていたことができない、わからないことが毎日増えてくる、という「不安」が、認知症の人にとって一番のつらさなのかもしれません。「不安」をうまく言えないからこそ、悲しく思い、傷つくことも増えます。「不安」をいつも抱えているからこそ、ささいなことが嬉しいのかもしれません。
家族にとっては、日々の介護で疲労困憊の中、本人の不条理な言動に振り回されてそれどころではない場合が多いと思いますが、その中で一瞬でも、本人の喜怒哀楽に寄り添うことができたら、それはとても大切なことのようです。
楽しいことを一緒に楽しむ、嬉しいことを一緒に喜ぶ、悲しいことは慰め合う、というこれまで家族として当たり前にしてきたことを、本人の状態に合わせていくことです。