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人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)

デイサービスとの出会いから1年、この頃の母の記憶

母の記憶

母83歳、デイサービスに行きだして1年が経った頃です。

・孫の誕生日に家族で回転寿司に行きました。母も孫にプレゼントを渡したいだろうと思い、事前に母と打ち合わせをしました。

品物を購入する余裕がなかったので、母に「現金がいちばん喜ぶかもしれないよ。みんなでごはん食べに行くからそこで渡したらいいよ。なくしたらいけないからお寿司屋さんでお母さんに渡すからね」と話し、母も納得していました。

食事をしながら、タイミングを見て、母に現金が入った封筒を渡しました。しかし母は、私と打ち合わせをした記憶はすっかりなくなっていました。

その時の母の行動は・・

「これ何?」と言いながら、封筒から現金をだし「あら!お金が入っているよ」と言いながら、その現金を数えだしたのです。
私が「誕生日のプレゼントでしょ?」と言うと、母は素直に孫に封筒を渡し、「一日100円ずつ使いなさいよ」と言っていました。

すべてを真横で見ていた孫は、苦笑いをしながら「ありがとう」と言い受け取っていました。

・ある日の食事中、母が話に入れるように、昔の歌手や歌、童謡などの話をしていたのですが、その中で“おてもやん”(熊本の民謡)の歌詞の話になりました。

その流れで、私がその歌を歌い出したのですが、途中で歌詞がわからなくなりました。すると驚いたことに母が続きを歌い出したのです。その歌詞が正しかったのかどうかはわかりませんが、スラスラと歌っていました。

新しい記憶は残らないけど、昔の記憶は残っているとよく聞きます。本当に驚きました。

・デイサービスのイベントで保育園の園児との触れ合いがあったようです。母は、イベントがあったことを忘れている時もありますが、この時は強く記憶に残っていたようです。

「小さい子供たちが来て、”おばちゃん”と話しかけてきた。知らない子供だったけど私を知っていたのかな?」と話してくれました。

83歳の母でしたが、“おばあちゃん”ではなく“おばちゃん”と母が言ったことにクスっと笑ってしましました。自分が年をとった意識がないのだと思います。

・我が家には「ケンジ」というトイプードルがいます。母も可愛がっていてデイサービスの人にもいつも話をしているようでした。
母は「ケン」と呼びます。

「ケンジ」を略して「ケン」と呼んでいると思っていたのですが、もしかしたら、18歳で天国へ行き、母の認知症発症のきっかけとなった愛犬「ケン」の記憶で「ケンジ」を「ケン」と呼んでいるのかもしれません・

・洗濯カゴに今から洗うものを入れ、洗濯機の前に行くようですが、何かのきっかけで、頭が切りかわり、次に洗濯カゴを見た時は、洗濯が終わったものと勘違いするようです。

そのまま(洗濯前のもの)干すということが数回ありました。“まばたき”ひとつで記憶が切りかわる感じです。

・果物やお菓子を自分の部屋のタンスに隠すようになりました。隠しているという記憶はなく、特にバナナなどの傷んだ臭いで私が気付くということが何度もありました。

・母が椅子に座り、頭を抱え込んでいました。頭を触ると左右2か所にたんこぶができていたのです。

特に左側が大きく、頭を冷やしながら「どうしたの?」と母に聞きますが、母の記憶は、聞くたびに場所が変わりわかりません。
キッチンを見ると土鍋で何か作ってありました。土鍋は通常母の頭より少し高いところにあります。この土鍋をだす時に、頭で支えたのかもしれません。

幸い、大きな問題にはなりませんでしたが、この頃は、まだ一人で何とか歩けていたので、とにかく目が離せない状態でした。

 

はじめての杖

この頃の母は自宅では伝い歩き、スーパーなどに行く時は、ショッピングカートを押すことで歩行できていました。それ以外は常に私の腕を握って歩く状態です。

何かを持っていると安心するようで歩行できたのですが、それでも不安定な状態でした。

杖を使うことを考えていたのですが、母は、「年寄りみたいだからいや」と言い続けていため、そのことをデイサービスに相談しました。

相談を受け、デイサービスで杖を使った歩行練習を始めてくださいました。母は、リハビリ担当の男性スタッフの方をとても気に入っていて、その人の言うことは素直に聞いていたようです。

杖を持っていることで安心できることがわかったのか、いつの間にか、歩くときには自分から杖を探すようになったそうです。

母の歩行は、筋力がないということもありますが、転倒することをこわがり、それが反対に不安定な状態になっていたのだと思います。

その証拠というわけではありませんが、私と口喧嘩をして、母が怒っている時は、つかまるものがなくてもスタスタと歩くことがあったからです。

不安より怒りの感情が強い時は、不安に思う余裕がなく歩行できていたようでした。しかし通常は常に不安に感じていることが多いため、やはり杖は必要でした。

そこで、少しでも母が気に入るように、ピンクの花柄の杖を購入しました。その杖をデイサービスに持っていくと、スタッフや他の利用者の方から「いいね。きれいね。」と褒められ、とても気分を良くしていました。

もっと後で、母は立つことさえ出来なくなりますが、その状態になるまで、この杖はいつも母を支えてくれました。

 

家事を手伝ってくれる母でしたが・・・

母は、気が向いた時、家事を手伝ってくれます。

何をするにも危ないので、ハラハラしますが、すべてをだめと言うより、出来ることはしてもらった方が母のために良いと考えていました。

・スポンジ
器を洗うスポンジを、コップ類(ブルー)魚類(イエロー)その他(ピンク)と色分けしていました。
この色分けは、母が昔からしていたことです。

母がイエロー(魚類)でお茶碗を洗っていたので、「スポンジが違うよ。黄色は魚だからピンクで洗ってね。」と言うと、「そうだったね」と素直に返事をしてスポンジを変えたのですが、ピンクではなくブルーでした。

スポンジが違うことと、色の指定の2つを伝えたので、スポンジを変えることは理解しても、色の違いはわからなかったのかもしれません。

・食器の保管場所がわからない
食器乾燥機から出して、母が食器棚に入れてくれるのですが、母が決めた配置なのに、もとの場所がわからなくなっていました。

おなじ種類を見つけることも難しい(めんどう)なようで、ある意味適当に置いてありました。

・炊飯器
炊飯器のタイマーをセットしているのですが、母が食事前になると、きまって炊飯器のスイッチを入れにきます。食べることは忘れないようです。

しかし、タイマーがセットされているのでスイッチは入りません。母はおかしいと思うようで、コンセントを抜きます。当然コンセントが入ってないからスイッチは入りません。

結果そのまま放置し、食事時間になってもごはんが出来てないという事が度々ありました。

また、何を思うのか、炊飯途中なのに炊飯器のフタをあけます。「まだ炊けてないよ!途中であけたらだめだよ!」と言うと、急いでフタを閉めて「大丈夫。もう水は入ってない」と意味がわからない言い訳をします。

・味付けがわからなくなった
食事を作ってくれることがありましたが、よく考えると焼き魚の時だけだったようです。なぜかと考えると、味付けをしなくていいからだと思います。

一度サラダを作ってくれたことがありますが、塩辛くて食べられませんでした。この頃から母は、味付けが分からなくなっていたのだと思います。

すべて味付けをしなくていい焼き魚と生野菜の組み合わせがほとんどでした。

・野菜を冷凍する
母は野菜(キャベツ、レタス、キュウリなど)を冷凍庫に入れてしまいます。

母が主に食事を作っていた頃の冷蔵庫と現在の冷蔵庫では、配置が違うこともあると思います。何度も冷凍野菜にされるため、毎回の冷凍庫の確認が私の仕事になりました。

 

眠っている時間が長くなった母

一時期は自宅にいる時も塗り絵に集中していた母でしたが、この頃からいろんなことに関心がなくなってきたようでした。

塗り絵もまったくしなくなり、テレビを見ることもなく、そっと部屋を見にいくと眠っていることが多くなったのです。ベッドではなく、畳やソファーに腰掛けたまま眠っていました。

起きていたとしても、外はすっかり暗くなっているのに、電気もつけず、黙って座っていることもありました。

連絡帳には「デイサービスにいる時は、他の利用者の方と楽しく活発にすごされている分、自宅では気が抜けるのかもしれませんね」と書いてありました。その通りなのかもしれません。

デイサービスは、母の生きがいになっていたようです。

 

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