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人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)

3か月以上の入院~自宅での介護生活のはじまり

3か月以上の入院を経て帰宅

2013年、私の母(当時80歳)は、本当に些細なことから右手首を骨折して入院しました。

手術、リハビリで3か月以上の入院を終え、やっと帰宅したのですが、この日から、想像以上に大変な母と私の介護生活がはじまったのです。

 

自宅看護の不安

母は、40代の頃から、高血圧と糖尿病でずっと通院していました。飲み薬も多く、インスリンも必要です。

入院前は、月に一度、一人でかかりつけの病院へ行き、その時その時で主治医から指示されるインスリンの単位も把握し、すべて自分で管理していたのですが、入院中は、特に利き腕の右手首骨折だったこともあり、自分で何かをするということがまったくない期間が続きました。

退院する時、「注射は自分でできるでしょうか?」と主治医に確認しました。「できるようになるとは思うけど、退院後すぐには難しいかもしれません」という回答でした。

私には、インスリンの知識が何もなかったので「母のお腹に注射するなんて私にできるだろうか」ととても不安になり、そのことを主治医に伝えました。すると、「注射と言ってもそんなに難しく考えなくていいですよ」と言われ、少しほっとしたことを覚えています。

「皮膚をつまみ上げる、おなじ場所に注射しない、つまんだ皮膚に直角に打つ、迷わず素早く針をさす、注入はゆっくりする」など教えていただいたことを頭で繰り返しながらドキドキしながらはじめて注射した時のことを思い出します。

今では、すっかり慣れてしまいました。

 

退院後、自分で何かをすることがない状態の母

帰宅後、やはり、母の状態は同じ(自分で何かをすることがない状態)でした。

「退院してすぐはやっぱり難しいだろう」と思い、最初の頃は私が薬の準備もインスリンもしていたのですが、その後も、薬関係は、自分でする意思がまったく見られず、「薬の管理」「インスリン管理」「血糖管理」「通院同行」などが私の仕事となり、私の生活の変化はそこから始まったのでした。

「右手首をかばってばかりではいけないから、少しずつ動かしていくように」と医師から指示されていたため、薬は準備してあげても、薬の袋をあけることや、インスリンもできるだけ自分で出来るように、都度母に伝えていましたが、「手が痛い」と言い続け、これ以降、母が自分でインスリンを注射することは一度もありません

しかし、今、考えてみると、「本当に手が痛いから何もしなかったのだろうか」という疑問があります。

母が入院する数か月前に、愛犬が老衰で天国に行きました。

いつも愛犬と一緒だった母は、ショックがかなり大きかったようで、その後から、少しおかしな言動があったのです。その状態で長期入院をすることになり、生活環境も大きく変わったことで、認知症が進行していたのだと思います

この時も「痛いからしない」ではなく、「いつ薬を飲むのか、どうやって注射をするのか、もしかしたら、何のために注射をするのか」それさえも、忘れていた(思い出せなかった)のかもしれません。

 

被害妄想、感情的になる母

そして母は、この頃から私に対し、とても感情的になってきました。精神面で、とても不安定な状態が続いたのです。

珍しく、自分で薬を準備していると思ったら、朝食後と夕食後を間違えていたので、入れ替えてテーブルに置くと、自分がしたことを否定されたように思うのか、その薬をテーブルから下に落としたことがありました。

主人と何でもない話をしていると、自分の悪口を言っていると思い込み、強い口調で指摘してきたこともあります。これは、被害妄想の始まりだったのかもしれません。

インスリンをしようとすると、「自分でできるからいい!」と言って、私を部屋に入れないようにしたこともありました。

結局は自分では出来ず、時間をあけて気分が良さそうな時に、部屋に入り注射したこともあります。

自分の部屋に閉じこもり、独り言ではありますが、私の悪口をブツブツ言っていたこともありました。普通に会話していても、感情的な言い方をすることが多くなってきました。

現在、我が家にはイヌとネコがいるのですが、母には私がイヌだけを可愛いがっているように見えるのか、私がイヌと遊んでいると、「こっちおいで。可哀そうに」とネコを抱いて自分の部屋に入ります。

そんな時は毎回部屋の扉をびっくりするほど強くバターン!と閉めます。

右手が使えないことで、何事も自分の思うようにならず、自分に腹が立つのが原因なのかなとその時は考えていました。でも、あのびっくりする扉の閉め方は、母が壊れはじめた音だったように思います。

 

相談先がなく、認知症ともわからず、ストレスがおそいかかる

そんな日々が毎日のように続き、認知症の知識も、母が認知症であるという意識も全くなかった私は、母の言動をまともに受け、感情的になって、母に言い返すことが多々ありました。

母に対し、腹が立って仕方ないこともありました。

努力しても、気をとりなおして頑張っても、どうにもならず、自分では、これ以上どうすれば良いかわからなくなっていました。

今思うと、母には早くから認知症の症状が出ていたのです。でも、この頃の私は、そんな母の言動に対し、単純に、「甘え・わがまま」という認識でしかなかったと思います。

当時、介護制度を知ることもなく、そんな母のことを相談する人もいなかったため、母にどう接すれば良いのかさえもわからなくなってきて、それが私にとって、大きなストレスでした。

 

主治医への相談、要介護申請

どうしようもなく、とりあえず、母の内科の主治医に相談してみることにしました。

主治医は女性で、何十年も通院していることもあり、母にとっては、誰よりも信頼できる人です。他の人の話は聞かなくても、主治医の話だけは子供のように素直に聞いていました。

主治医に相談すると言っても、診察室では、母が、隣にいますので、母のことを主治医に話すことは不可能に等しい状況でした。それでなくても当時の母は、私に反抗的だったので、信頼している主治医に私が自分のことを話していると思えば、きっと黙っていなかったでしょう。

何か方法はないかと考え、事前に主治医宛に手紙を書き、診察前に主治医に渡していただくよう病院の受付にお願いしました。自宅での母の言動や、それに対し、どのように接すれば良いかなどの内容です。

診察時、主治医は、手紙のことには何も触れず、いつものように診察されました。でも、ひとつだけ違うことがありました。

主治医が母に「ちょっとおもしろいゲームがあるからしてみない?」と言って、上手に誘導され、別の部屋に母を連れて行かれたのです。あとから思えば、おそらく認知症の診断だったと思います。

母がいない間に、「感情的にならないように、感情を少し抑える薬をだしておきますね」とおっしゃいました。

そして、このあと、主治医の勧めで、要介護申請をすることになったのです。

 

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