人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)

母と私がぶつかってしまう原因、私はいつも母を「指摘する人”?

私にいつも反抗する母

母、83歳。デイサービスに行くようになってから1年が経過していました。

デイサービスの連絡帳には、「いつも明るく、まわりの人とも楽しく過ごしていらっしゃいます」とたびたび書いてありました。しかし、デイサービスではそんな母でも、自宅に帰ってくると、同じ人とは思えないほど言動が変わるのです。

この頃の母は、とくに私に対し、決して素直に話を聞くことはなく、何かあるたび、とにかく逆らっていました。まるで、反抗期の子供そのものです。

私自信も、反抗期の時期がありましたので、その時の自分とこの頃の母を比べてみたことがあります。

私も、親が言うことが正しく、自分が悪いとわかっていても、なぜか親の言うことには素直になれず反発ばかりしていました。その反面、友達などには素直になれて普通に過ごしていたように思います。

この頃の母と似ています。

ただ、反抗期というのは、その時期的な問題であり、特別な原因はないのかもしれません。当時の私は、似ている症状とはいえ、母の反抗的な態度には、何か別の原因があるのではないかと悩んでいました。

 

今でも胸が痛むできごと

母に対し、今でも胸が痛む出来事がありました。この出来事をきっかけに、母の反抗的な態度の原因がわかったような気がします。

月に一度、母の病院に行く日のことです。前日から「明日は病院だからね」と何度も声をかけていました。

母は、そのたび「病院ならお金はどうしようか。お金がない。通帳がない。」と言います。

母の生活に大事なもの(通帳・印鑑・診察券・保険証)は私が預かっていました。母がその言葉を言うたび「私が預かっているから大丈夫だよ。」と、何度同じ説明をしたかわかりません。

出かける時間になっても、いつまでもお金を探していました。イライラしていた私は、「間に合わなくなるよ!」と大きな声で言いました。

それがきっかけで、母と言い争いになったのです。

母は、左手でイスにつかまり、右手にバックを持った状態で私に掴みかかってきました。とっさに私は、母の手を振り払いました。

母がつかまっていたイスは回転するため、ふらついて床に座り込みました。伝い歩きをしていた母だから当然です。

私は、母が持っていたバックで左手の小指を打撲し少し出血していました。

転倒した母を見て、動揺し、「骨折していないだろうか・・」と心配でしたが、その心配を打ち消すかのように、母はとてもオーバーにふるまい「突き飛ばしたね!それが親に対する態度か!」と怒鳴りながら、赤ちゃんがハイハイするような格好で自分の部屋に入っていったのです。

薬もインスリンもない為、何とか病院に連れていく必要がありました。何度も声をかけましたが、「子供が親の面倒をみるのはあたりまえでしょ!」などと私を罵倒する言葉を大声で言うだけでした。

そんな時は、とても認知症とは思えないほどスラスラと言葉がでてきます。

結局、母を連れて行くことはできず、病院に連絡して私だけ行きました。

主治医が私と話をする時間を作ってくださり、その日の出来事と、私に対する言動がとても反抗的、攻撃的であることを説明しました。

主治医は、「それは、アルツハイマー型認知症の症状。脳が萎縮して攻撃的になることがある。しかし、ちゃんと相手を見て切り替えができる。娘と話す時は親になっている。」と仰いました。

翌日、母は、やっぱり何もなかったようにしていました。

体を痛がることもなく、あんなことがあったのに何も覚えていません。忘れてしまう母はいいけど、すべて覚えている私は、とても切ない気持ちでした。

この出来事は、さすがに心が折れました。

相手を見て切り替えができる・・・家族だから、子供だから、だから甘えて言いたいことを言う・・・しかし、他の人たちの前ではニコニコすることもできる・・・

それができるのなら、私にも、同じようにできるのではないか・・・できないのは、私に原因があるのか・・・

 

ダメ出し(否定)をしていた私

デイサービスと私は何が違うのか、なぜ母は私に反抗するのか・・・いろいろ悩んで考えて、ふと気がつきました。

私は、何かといえば、母に”ダメ出し”をしていたのです。

当時の私は、そんなつもりはなかったと思います。しかし、「わざとしているの?」というくらい、母は止めなければならないようなことばかりしていました。

私は、ダメ出しをすることで、知らず知らずに母を否定していたのだと思います。

 

ダメ出し(イヌに人間の食べ物を与える母)

食事中に、母が食べている物をイヌに食べさせます。

イヌが欲しがるから仕方ないところはありますが、食べさせようとするたびに、「人間の食べ物はイヌには良くないからあげないで」と注意しました。

おそらく、一度の食事で最低3回は母に言っていたと思います。

私に注意された“内容”は、忘れてしまう(記憶に残っていない)のだと思います。だから、何度も繰り返し食べさせるのかもしれません。

しかし、不思議に私に何かを“指摘”されたという感覚は覚えているようでした。なぜそう感じたのかと言うと、注意するたびに母の言動が変わっていったからです。

1回目は、イヌに「食べたらだめだって」と優しく言って食べさせるのをやめました。

2回目は、注意された瞬間、食べ物を捨てました。

3回目は、イヌを手で押しやり遠ざけました。

 

ダメ出し(ドアを開けたままネコを探す母)

我が家にはネコもいます。母は、イヌもネコも大好きで、とくにネコは毎日、母の部屋で眠ることが習慣になっていることもあり、ネコに対する愛情はとても大きなものでした。

そんな母は、イヌやネコの姿が、少しでも見えなくなると騒ぎ出します。

他の家族は、その子たちが外に出ないように、ドアの開け閉めには注意していますので必ず家の中にいるはずなのです。それでも母は、自分で探そうとします。

この頃、伝い歩きをしていた母は、よろよろしながら、玄関のドアを開け、手すりにつかまりネコの名前を呼んでいました。玄関のドアが開いたままだったので、家の中にいたその子たちは、外に出てしまいました。

イヌは呼べば帰ってきますが、ネコはそうはいきません。この後、1週間、帰ってきませんでした。

母が玄関のドアを開けたままにしているのは、この時だけではありません。そのたびに、「ドアを開けたままにしないで。必ず閉めて。」と注意していました。

注意された時「開けたままにしていたことはない!」それが必ず返ってくる母の言葉でした。

 

ダメ出し(薬の持ち出しをする母)

母の命をつなぐ血糖値の測定器や飲み薬は、なくならないように私が保管していました。

他のことは、どんどんわからなくなっていましたが、自分のものだからなのか、それらの保管場所は覚えていたようです。そして、たびたび、保管場所から自分の部屋にすべてを持っていきます。

自分の部屋にあることで安心するのか、そのあとは、部屋のあちこちに散乱していました。特に飲み薬は通院ごとに1カ月分処方されるため、次回通院日までに足りなくなったこともありました。

主治医に事情を話し、新たに処方していただいたことも何度かあります。

母が持ち出すたびに「注射や薬は大事な物だから、なくなったら困るでしょ。だから場所を動かさないで」と注意していました。 この時も「何で私の薬までそんなに言われなければいけないわけ?」と言い返していました。

ダメ出し(多すぎる間食)

糖尿病があるため、本当は間食はやめた方が良いのですが、食事以外に何もなければ、食べるものがないことにブツブツ言い、母のストレスにもなると思い、主にフルーツを準備していました。

ミカン一袋(5~6個入り)を置いていると、その日のうちになくなってしまうこともありました。そのたび「食べたらいけないとは言わないけど、糖尿があるから食べすぎるのはダメ」と注意していました。

母は、「好きなもの食べて死ぬならそれでいい」「あれはダメ、これはダメ・・・うるさい」と言いながら自分の部屋に入っていったことがあります。

ダメ出し(お米を洗う母)

食べることが大好きな母です。食事の準備はよく手伝ってくれました。

お米を洗ってくれたのですが、ごはんがたくさん残っている日も毎回洗ってしまいます。

「おにぎりがあるから今日はご飯炊かなくていいからね」と母に伝えました。忘れるだろうと思い、数回伝えました。

そのたび「うん。わかった。」と答えるのですが、やはりその時も洗ってありました。この時も、「もー!だから今日は洗わなくていいって言ったでしょ」と言っていました。

 

母に私の気持ちは伝わっていた(のだろうか)

昼食によくパンを作りました。

焼きたてのパンを母の部屋に持って行くと、「ありがとう!こまめにいろいろ作るね?」と言って、あつあつのパンをおいしそうに食べていました。

反抗することが多い中、そんな時もありました。ちょうど気分が良いタイミングだったのかもしれません。

この頃の私は、「母の心の中には、いつもそんな気持ちがあるけど、いつもは反抗が先になり、その気持ちを表現できないだけ」と自分に言い聞かせていました。

 

介護スタッフの方と同じようにはできない

主治医から聞いた話ですが、認知症の人は、言葉や出来事は覚えていなくても、この人は優しい人、この人は嫌な人などは、敏感に感じる人が多いとのことでした。

デイサービスのスタッフの方は、決して、ダメ出し、否定をすることはありません。いつも、利用者の方が気持ちよく過ごせるように心がけていらっしゃいます。

同じように出来れば良いのですが、家庭でそれを継続するのは難しいことだと思います。

この頃の母にとって、私はいつも母を“指摘する人”という存在だったのだと思います。だから、私には反抗的な態度をとっていたのかもしれません。

 

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