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人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)

母の記事を書いている理由

介護・・おそらくいつかは誰もが経験されることだと思います。他人ごとのように思っていましたが、私にもその時がやってきました。

私の母は80歳になる頃、認知症を発症しました。医師からはっきり伝えられるまで、自分の親が認知症であることを受け入れるのにとても時間がかかりました

発症からの数年、認知症の進行はとても早く、さまざまな症状に悩まされながら母の介護は続きました。

そんな母のことを、記事にすることに迷いがなかったと言えば嘘になります。しかし、家族だからこそ想像以上に大変であること、認知症の進行がとても早いこと、その時の症状に合わせ介護の仕方も変わること、良いケアマネージャーとの出会いがとても大切であること、介護スタッフの方に助けていただいたことなど、経験したからこそわかったことがありました。

また、個人的にはいつの日か今とは違う気持ちでこの記事を読み直すことがあるだろうと思ったからです。

私もそうでしたが、介護する人は、どこかでストレスを発散しなければ、気づかないうちに自分が疲れきってしまいます。認知症は、本当に驚くようないろいろな症状が現れます。

私の介護の経験談が、少しでもお役に立てれば幸いです。

 

母の84歳の誕生日

我が家では、家族の誕生日は、みんな揃ってお祝いします。夕食を食べに行くのがお決まりでした。

この日も、杖をついて歩く母を支えながらレストランに行きました。

母は、自分の誕生日ということをわかっていませんでした。「誕生日おめでとう!」とみんなで言うと、その瞬間は「ありがとう」と言いますが、すぐに忘れてしまいます。

大好きなエビフライを本当においしそうにパクパク食べていました。

お腹いっぱいになってレストランを出る時、片手で杖、片手で孫の腕をしっかり握り一歩一歩ゆっくり歩いていました。

孫の腕をとても頼りにしていました。転倒しないためではありますが、孫が頼りになることが何よりも嬉しそうな母でした。

この日、母の後ろ姿を見て、「本当に小さくなってしまったな・・」としみじみ思ったことを覚えています。

介護施設で歩行訓練を頑張っていた母でしたが、このあと、自分の足で歩くことは二度とありませんでした。

家族揃って行った外食も、この年が最後になりました。

 

妄想・思い込みをそのまま口にする母

自営業のため、同敷地内に事務所と自宅があります。母の部屋から事務所の窓が見えます。

母はいつも、暗くなってくると、事務所の電気がついているか、消えているかを見ているようでした。おそらく、事務所の電気がついていたら、「お腹がすいたのにまだ帰らないのだろうか・・」と思っていたのかもしれません。

そんな母は、ご近所の人に、驚くような話をします。家族について話すことが多かったようですが、そのほとんどが悪口でした。

「事務所の電気をつけたまま仕事をしているふりをして、どこかに遊びに行った」と言っていたこともありました。

また、母は、デイサービスに仕事に行っていると思っていて、「給料が一日5千円になる」と話していたこともあります。

服の選び方もわからなくなったようで、寒い時期に、季節はずれの薄い服を着ていたことがあります。「寒いと思うよ。着替えたら?」と言うと「仕事場は、暖房が暑いし、制服があるから大丈夫!」と反発することもありました。

そんな話をしている時の母は、認知症ということはほぼわかりません。スラスラと言葉がでてきます。知らない人が聞けば、本当の話と思われてしまいます

妄想や思い込みで、あることないこと、そのまま話していたので本当に困っていました。

ご近所の人に、母が認知症であることを出来るだけ知られたくなかったのですが、理解していただくためにも知らせないわけにはいかなくなりました。

 

忘れてしまう母・・大切な人さえも

母には、何十年もお付き合いがある同じ年齢のお友達がいます。私も子供の頃からいろいろお世話になった方です。
以前は近くに住んでいたため、よく遊びにいらしてましたが、引っ越した後は、なかなか会えず、それでも母は、定期的に電話で話していました。

ふと、最近電話してないみたい・・と思い、母にそのお友達の話をしてみました。

母があまり反応しなかったので、「電話番号がわからなくなったの?」と聞くと、「わからない」という返事でした。いろいろ忘れているから電話番号を覚えていないのは納得できました。

しかし、母の「わからない」という言葉は、電話番号ではなく、そのお友達自身のことだったのです。

とても悲しい気持ちになり、何となく気になった私は、その方に電話をしてみました。「現在使われておりません」のアナウンス・・・他に連絡をとる方法がなく、母とそのお友達が会える可能性はなくなってしまいました。

ごはんを食べたことを忘れて、また何かを食べることもあります。

その日は、昼食を食べたあと、そんなに時間がたっていないのに自分で玉子焼きを作って食べていました。昼食は残さず食べていたので、足りなかったということはないはずです。

毎回ということではありませんが、母の部屋に食べたあとのお茶碗やお皿がたびたびありました。食事時間にしっかり食べて、お腹がすいているはずはありません。

何も食べてないと思い込んでいる症状だと思います。

このように過去のこと、少し前のことをどんどん忘れていく母でした。この頃の母の記憶にあるのはデイサービスだけだったようです。母が楽しく過ごせる場所があることに心から感謝しました。

もし、この出会いがなかったら、母は自分の部屋で何もすることもなく、黙ったまま座っている時間が多かったと思います。

デイサービスでは、笑顔も多く、おしゃべりもたくさんして、スタッフの方に「お母様はムードメーカーのような存在です」と言っていただけるほどでした。

 

イスがないところに座ろうとして転倒

デイサービスのお迎えの車が到着する時、いつもたくさんの利用者の方が乗っていらっしゃいます。そのため母はよく補助席に座っていました。しかし、その日は利用者の方が少なかったため、補助席が出してなかったのです。

ドライバーの方は母の脇を支え、補助席ではないところに座らせようとしましたが、母はいつもの感覚を覚えていたのか補助席の場所(椅子がないところ)に座ろうとしたのです。

その場に転倒(座り込んでしまった状態)してしまいました。座り込んでしまった母を立たせるのはとても大変で、ドライバーの方と二人でようやく座らせました。

幸い、怪我も骨折等もなかったのですが、思いもしない行動をすることがありますので、少しの間も目が離せませんでした。

 

飼い猫がいなくなって・・

突然、ネコがいなくなりました。母が、とても可愛がっているので、母に知らせると大騒ぎすると思い、他の家族だけで探していたのですが、その様子を見て母が気付き、そこから大変なことになりました。

その日は雨が降っていました。母は、片手で傘をさし、片手で杖を持って、フラフラしながら外に出ていきネコを探します。

「危ないよ!私たちが探すから!帰ってくるかもしれないから家の中で待っていて。」と母を説得しますが、まったく聞きません。

足がふらつくせいか、さしていた傘は、杖として使っていました。

私は、雨に濡れた母を部屋に連れていき、着替えさせながら、ネコとはまったく違う話をしました。話題が変わることで、母はネコがいなくなったことを忘れます。

その点では認知症の症状に助けられたこともあります。

しかし、時間が経つと、雨に濡れながら探したことは忘れていても、新たにネコがいないことに気付き、またふらふらと探し出すのです。窓を開けて、大きな声でネコの名前を叫び続けます。

そのたび、お茶やお菓子を食べさせたり、話題を変えたりして母の記憶を切り替えるのが大変でした。

ネコは気になるけど、母から目がはなせない。母を説得することに集中しなければいけない。母が私の説得に反抗することもあり、とてもストレスでした。

この数日後、私は体調をこわし、入院することになります。ネコはみつからないし、私はいない状態で家族はとても大変でした。

家族の協力と介護施設の協力がなければ、この時期を無事に過ごすことはできませんでした。

ネコは、いなくなってちょうど1週間後に自分で帰ってきました。

そして、私が入院している時に、母もまた入院することになります。ここからの母は、手術や入退院を繰り返し、ほとんど自宅に帰ってくることはなくなってしまいました。

 

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