人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)
子供の幼稚園入園時と同じようなデイサービスの準備
2015年8月(母82歳)。ケアマネージャーにプランを計画していただいて、いよいよ母のデイサービスデビューが近づいてきました。
デイサービスに行くことに対して、母がどんなふうに思っていたのか、まったく予想できませんでしたが、とりあえず「行ってみないとわからない」と言うひとつの賭けをする気持ちで、デイサービスへの持参物の準備をしました。
持参するものは、毎回お風呂に入れていただけるということもあり〈・バスタオル(1枚)・フェイスタオル(2枚)・上衣、下衣(1セット)・下着(1セット)・歯ブラシ・歯磨き粉〉これが基本だったと思います。
母の場合は、これに昼食前後の飲み薬とインスリンの準備も必要でした。
それとは別に、この頃はまだ、お化粧を気にする母でしたので、個人的に、洗顔せっけんと、お風呂上がりにつける化粧水、乳液そして口紅を準備しました。
持参する物には、バックから靴まで、すべてに名前を書く必要があります。母の持ち物に名前を書くというのは、何となく抵抗がありましたが、サインペンで、母のフルネームを大きく書きました。黒い服は、名前がわかるように白い糸で縫いました。
母の名前を何度も書いているうちに、ふと思ったのです。「まるで、私の息子が幼稚園に入園する時とまったく同じことをしている」と。
それはとても複雑な気持ちでした。そして、これから先、もっともっと、まるで小学生や幼稚園児のような母の姿を見ることになっていくのです。
デイサービス初日の朝、緊張と失敗
ひまわりが一面に咲き乱れる8月初旬、デイサービスの初日を迎えます。
この日は、朝から大変でした。介護施設からのお迎え時間に間に合うようにと緊張していた私は、持参物に忘れ物はないかと何度も確認し、出かける前にすませるべき、朝食・薬・インスリンを準備して、母の部屋に何度も様子を見にいきました。
この頃の母は、服も自分で選び、着替えも自分でできました。
母は、どこに行くのか、何をしに行くのかわかっていなかったはずですが、どこかに出かけるというのは自覚していたようで、お気に入りの服を着て、お化粧も念入りにしていました。
介護1の認定を受ける状態であっても、おしゃれをすること、身ぎれいにすることを忘れない母を見て少し安心したことを記憶しています。
しかし、時間を気にしていた私は、そこで失敗してしまいました。
「着いたら、すぐお風呂に入るかもしれないから、お化粧はしなくてもよくない?」と母に余計なことを言ってしまったのです。その言葉を聞いた瞬間、母はとても不機嫌になってしまいました。
不機嫌な母をなだめながら、何とか食卓テーブルへ連れて行き「早く食べないとお迎えくるよ」と母に何度も言いましたが、まったく素直に聞かず、あてつけのようにテレビを見ながらゆっくり食事をしていたのです。
何とか時間前に食事も終わらせ、インスリンや薬も飲ませてお迎えを待つだけになりました。
でも、ここでも私の不安がありました。こんな不機嫌な状態で、お迎えに来てもらっても「行かない」と言い出すのではないか、素直に車に乗るだろうか、デイサービスに行ったとしても問題なく過ごせるだろうか・・
不安はつきません。
母はお迎えに良い態度
ところが、お迎えの車が来て、ドライバー(男性)の方が母に「おはようございます!さー行きましょうか!」と声をかけられると、母は「はい!さー行きましょう!」と答えたのです。
私に対する態度とは、真逆でした。
母は、さっさと靴を履こうとしました。
この頃、足がむくんでいた母は、靴が履きにくく、自分で腰を曲げて履こうとすると、めまいがするみたいで、いつも私が、かかと部分をなおしていました。
母も、私が靴を履かせてあげることを当たり前のように思っていたはずです。
最終的には、私が手伝いましたが、この日の母は、何とか自分で靴を履こうとしていたのです。
ドライバーさんが見ていることもあり。私の手を借りなくても自分で出来ると言いたかったのではないかと思います。
もうひとつ、この頃の母は、短時間に同じことを何度も繰り返すようになっていました。
「私のメガネは?」「私の財布は?」中でも特に多かったのは「私のバックは?」でした。バックと言うのは、母のショルダーバックのことです。
靴を履いた母は、この日も「私のバックは?」と言いました。当然、デイサービスには、バックや貴重品、現金も持っていくことはできません。
「今日はバックはいらないよ」と言っても、母は納得せず、自分の部屋に取りに行こうとしました。困った私は、「バックはさっき運転手さんに渡したよ」と言ってみました。
それは、持参物が入ったバックのことでしたが、ドライバーさんも「預かっていますよ!もう車にのせました。心配いらないですよ。」と話しを合わせてくれました。その言葉を聞いて安心したのか、母は、ドライバーさんに手を引かれながら車に乗ったのです。
私はずっと見送っていたのですが、母は最期まで私を見ることはありませんでした。この時期は、(母の私に対する反抗期)そのものだったと思います。
今では大切な記録となった、デイサービスの連絡帳
家族とデイサービスのスタッフの間でやりとりする「連絡帳」があります。目的は、母の様子や症状について、お互いに情報を共有するためのものです。
初めて連絡帳を受け取った時、「息子が幼稚園の時もあったな・・・」そんなことを思い出しました。
連絡帳には、血圧・脈拍・体温を記入する箇所もあります。毎回記録していただけるので、その点でも安心できました。
デイサービスに行きだしてから、高血圧の母が、いつも正常値で安定していることに驚きました。
それは、イライラすることもなく、楽しい時間を過ごしていたという証だったと思います。
そして、私は、この連絡帳を、毎回見たり書いたりするのが楽しみになってくるのです。
母の自宅での症状やデイサービスから帰ってきた後の母の様子、心配事や相談、時にはプライベートなことまで書くこともありました。それに対し、アドバイスも含め、毎回お返事を書いていただけます。
現在、母は入院しており、今後、自宅での介護は難しい状況です。
デイサービスは、朝から夕方までとなり、夕方帰宅してからは自宅での介護になります。本当に残念ですが、おそらく、母がデイサービスに行けることはもうないと思います。
デイサービススタッフの皆さんは、本当に良くしてくださいました。最初に行った介護施設ということもあり、母にとっても、一番記憶に残っていると思います。
この連絡帳は、中には体調が悪くなった時の内容もありますが、今となっては、母の楽しい時間を記録した大切なものになりました。
デイサービスのお風呂にご機嫌の母
初日のデイサービスから帰宅した母は、とてもご機嫌でした。「楽しかったー!お風呂が気持ち良かった!」と言っていました。
母が行くことになったデイサービスのお風呂は、嬉しいことに温泉だったのです。温泉が好きな母は、それだけでもご機嫌だったと思います。
お風呂に入る時は、転倒防止のため複数のスタッフさんがついていらっしゃるそうです。母に「お風呂に入る時は、誰か一緒に入ったの?」と聞くと「何人か一緒に入って背中も洗ってくれた」と言っていました。
付き添われるのは、男性スタッフもいらっしゃると思いますが、孫と同じくらいの年齢のスタッフが多いので、男性と言っても、そこは特に抵抗なかったようです。
デイサービスで、そこまでしていただけることを聞いてとても安心しました。デイサービスから帰ってくる母は、いつもせっけんの香りがしました。
塗り絵作成で見た、私が知らなかった母
「活動として、塗り絵に取り組んでいらっしゃいます」と連絡帳に書いてありました。
「塗り絵?母が塗り絵をする?」その時の私には、それはとても意外なことでした。母が塗り絵に興味があるとは思えなかったからです。
でも、それも私の思い込みでした。
母が帰宅した時、バックの中に完成した塗り絵が入っていました。
それを見た時、本当に母が塗ったのかと思うほど、とても上手に塗れていて、明るい色がたくさん使ってあったのです。
ここでも、息子が幼稚園で書いた絵をはじめて見た時と同じ気持ちになりました。
毎回、皆さんから「上手ね~!」と褒められることで、気分が良かったのか、塗り絵は母のお気に入りの趣味になったのです。
このあと、入退院を繰り返すことになりますが、入院中、気分が良い日は、病室のベッドに座り夢中になって塗り絵を楽しんでいました。
デイサービスでヘアーカットの予約ができた
以前は、一人で美容室に行き、カットしていた母ですが、足を痛がるようになってからは、外出することが少なくなっていったのです。
いつの頃からか、母の髪を私がカットするようになりました。心得もない私がカットするので、とても上手にできるはずはないのですが、母は鏡を見て、「上手だね。美容師になればよかったね。ただで切ってくれるからいいね。」と冗談を言い、二人で笑ったことがあります。
自宅でカットしたあと、肌についた髪を流すために、すぐお風呂に入っていたのですが、デイサービスに行くようになってからは、自宅でお風呂に入ることがなくなったので、カットをどうすればいいかと悩んでいました。
それを連絡帳に書いたところ、デイサービスでカットの予約ができると返事をいただいたのです。もちろん料金は別になりますが、とても安くて千円代でした。決められた日に、美容師さんがデイサービスに来られます。
早速、予約をお願いして、その悩みも解消されました。
何度となく母の髪をカットするたび、私の腕も多少上がったように思っていたのですが、デイサービスでお願いすることになり、それ以降、私が母の髪をカットすることはなくなりました。
少しさみしい気持ちもありますが、これもまた良い思い出です。デイサービスの活動、母にとっての楽しい時間は、まだまだ続きます。