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人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)

記憶障害が進むが、楽しみのデイサービスは週4日へ

デイサービスに持っていくバッグの中身が変わっていく

当時82歳の母は、2015年の夏から、週2日でデイサービスに行くことになりました。デイサービスでの母の様子がわからなかったため、最初は週2日でお願いしました。

しかし、母がとても楽しみにしている様子だったので、わりと早い段階で週3日に変更したのです。

ずっと自宅で介護をしていましたので、母がデイサービスに行っている時間帯(朝から夕方まで)は、安心して家事や仕事に集中できました

母は、よほどデイサービスを気に入ったのか「行く日は、月曜日と水曜日と金曜日だよ」と、どんなに説明しても、毎日のように朝から身のまわりの物をバックに入れ、デイサービスに行く準備をしていました。

この頃、母がバックに入れていたのは、化粧品・くし・ハンカチ・財布・着替え・薬など、通常出かける時に持っていく物でした。

しかし、これもまた、時が流れるごとに、母が準備したバックの中はどんどん変化していきます。人形・食べかけのお菓子・広告のチラシなど、その時手に取った物をそのままバックに詰め込んでいる感じです。

毎日、そのバックを持ってきて、お迎えが来るのを待っている母。

「今日は行く日じゃないよ。行く日は黄色い車で迎えにくるからね。」と言い聞かせるのが大変だったことを思い出します。

この頃、デイサービスでも母の様子に変化が見られたようで「お風呂にお声かけすると、“昨日の夜も入ったよ”とおっしゃるようになりました。」そのように連絡帳に書いてあったことがあります。

ちなみに、デイサービスに行くようになってから、自宅では一度もお風呂に入ったことはありません。

 

薬を飲み忘れるようになる

この頃は、(朝食30分前、夕食30分前、就寝時)に血糖値測定とインスリン、そして毎食前後、飲み薬がありました。

薬は、高血圧・糖尿病・その他でかなりたくさんありましたが、一方化(1袋ずつパックにする)されていて、袋に母の名前、食事前・食事後など飲むタイミングも印字されていましたのでとても助かりました。

毎回の食事ごとに、食事前、食事後の薬を母が座るテーブルに置きます。食事前の薬は、飲み忘れることは、ほとんどありませんでした。食事をする前に、自ら袋をあけ、小さな薬を落とさないように、大きな口をあけていました。

しかし、食事後の薬は、飲み忘れていることが、かなりありました。「薬飲んでないよ」と母に渡します。そんな時、母は、「忘れていない、今から飲むところ!」そんな言葉でごまかしてみたり、すぐに飲むことなく、黙って自分のポケットに入れることもありました。

結局、飲み忘れて、たまたま母の洗濯物を干している時に、ポケットから薬を発見したこともあります。

 

糖尿病であることを忘れ、とにかく食べていた頃

これは当時悩んでいたことです。糖尿病のため、食事自体も気を付けなければならないのですが、母のおやつが問題でした。

何も準備していない場合、冷蔵庫や食器棚をさがして「うちには食べるものが何もない!」と言います。

年を重ねていくと、食べることがいちばんの楽しみと聞きます。お酒も一滴も飲めない母には、やはり食べることが大きな楽しみだったはずです。

糖尿病だからと言って、何も準備しないのは、母のストレスになるかもしれないと思い、果物を中心におやつを準備することにしました。

ところが、時間も量もまったく考えず、パクパク食べるのです。

ミカンやバナナを置いていると、前を通るたびに自分の部屋に持っていきます。ごはんも、たくさん食べるので、おそらく私以上に糖分をとっていたと思います。

血糖値は空腹時の血糖を測定しなければならないのですが、食べている時間も定まっていないため、測定は、空腹時なのか、そうではないのかわからない状態でした。一応、「本人に何時頃食べた?」と聞いてみますが、その答えも曖昧です。

かなり食べているのであれば、食事の量を減らすべきだと思うのですが、何もわからないため、また、あたりまえに食事をすることになります。そのような状況で、当時の血糖値は300を超えることもたびたびありました。

主治医にそのことを相談しました。「食べることを制限すると楽しみもなくなるし、イライラするようになるから、ある程度は仕方ないですね。インスリンで調整しましょう。」とおっしゃいました。

そして主治医から「おやつは食べたいけど、量を考えましょうね。たとえばミカンだったら一日一個までにしましょう」と言われた母は「ミカンは一日一個しか食べてないですよー!」と、いたずらをした子供のように舌をだしながら答えていました。

 

お金がなくなっていく?

母の記憶が、この頃から曖昧になってきたので、母の持ち物でなくなってはいけないもの(年金手帳・印鑑・健康保険証・診察券など)は、私が保管することにしました。

いつも自分で郵便局の窓口に行き、年金をおろしていた母でしたが、この時からは、私が窓口の手続きをするようになったのです。母が不安に思うといけないので毎回、母も連れていきました。

郵便局の帰りには、必ずスーパーに行きます。「自分のお金で買ってあげた!」という嬉しさがあるだろうと思い、ネコやイヌのおやつを、あえて母のお金で買うためです。

帰宅して、「おやつ買ってきたよ!」と言いながら、ネコやイヌに嬉しそうに与えていました。

「おろしたお金がいくら、病院代がいくら、残ったお金を財布にいくらいれた」これは、毎回、母に説明していたことです。母もその時は、納得して財布を受け取ります。

しかし、不思議なことに、そのお金(札)がなくなっていくのです。

母が、どこかでお金を使うことはありません。だけど、財布を見るたび札がなくなっているのです。母に聞いても「最初からなかった」としか言いません。

現在も、そのなくなったお金が、どこにあるのかわかりません。

過去、母が大事なもの(お金や書類関係)をコタツテーブルの下に隠していることがありました。その時も、テーブルの下を見たのですが、ありませんでした。

本当のところは不明ですが、おそらく、なくなってはいけないと思い、どこか見つからないところに隠している(つもり)のだと思います。いつか、母の部屋を大掃除すれば、たとえば、タンスの服と服の間などから出てくるかもしれません。

 

タンスに貼り紙をして、大事なものを預かる

あれがない!これがない!」この頃から母は、ことある毎にそう言うようになりました。

その都度、何度も説明していたのですが、さすがにたびたび説明することに疲れていた私は、母がいちばん使うタンスの扉に貼り紙をしました。

これは張り紙の内容です。

『通帳・印鑑・保険証・診察券は、大事な物だからなくならないように、私が預かっています。病院代も私が預かっています。必要な現金があればいつでも言ってください。私が預かっているお金がなくなったら、お母さんと一緒に郵便局に行きます。』

この貼り紙を、母へ、しっかり読んでいました。素直な時は、「そうね。最近忘れっぽくなったから預かってもらった方が安心ね」と言うこともありました。

しかし、それは長くは続きませんでした。その貼り紙の存在さえ忘れ、また、振出しに戻ったのです。

 

今と昔が交錯する母の記憶

母が突然、「明日は大分に泊まりで仕事に行く」と言い出しました。

なぜ大分がでてきたのか・・・。とても不思議でしたが、テレビのコマーシャルを見て、これではないかと思うことがあったのです。それは、別府にあるホテルの格安ツアーのコマーシャルでした。一

日に何度かそのコマーシャルを見ることがあり、母に「これ安いね!」と言ったことがあります。このホテルは歴史もながく、ホテルの名前を母も知っていました。

母は、過去ホテルに勤めたことがあります。そして、このホテルは大分県にあります。

他に思い当たることがないので、おそらく、このコマーシャルが母の記憶に残り、自分がそのホテルに泊まりで仕事に行くという言葉になったのではないかと思います。

「明日は大分に行く」と言う話は、しばらくの間続きました。

デイサービスでは施設を出たあと、順に利用者の方たちをご自宅に送って行かれます。

ある日の帰宅時、車には母一人が乗っていました。「今日は最後だったね」と母に話しかけると、予想外の返事が返ってきたのです。「帰る時は、“立野”を回って“瀬田”で何人か降りるから私が最後になった」と・・・

車の免許を持っていない母は、通院や、買い物、親戚の家に行く時など列車を利用していました。私も子供の頃、よく一緒に乗っていました。

“立野”や“瀬田”と言うのは、列車が止まる駅の名前です。

母の頭の中で、何がおきているのか、どうなっているのか、なぜそんな記憶と交差するのか・・。どこかで認知症を受け止められずにいた私でしたが、この時は、さすがに受け止めなければならないと強く感じました。

 

花に水をあげたことを忘れて、何度も水をあげる

母は、花がとても好きです。母の部屋の前にあるプランターには、たくさんの花があり毎日水をあげていました。母の唯一の趣味で、とても大切にしていたのです。

私が水をあげようとしても、自分の宝物を守るかのように、「私がするからいい」と言っていたくらいです。

でも、足を痛がるようになって、外に出るのがおっくうになったのか、あるいは、花のことを忘れてしまったのか、だんだんと関心がなくなり、ついに花は枯れてしまいました。

室内の出窓にも、いつも花がありました。室内で目につくからか、出窓の花にはいつも水をあげていました。

しかし、水をあげたことを忘れ、一日に何度も何度も水をあげるのです。それを繰り返し、出窓は水浸しになり、その結果、室内の花も枯れてしまいました。

 

洗濯好きだった母が、汚れた服や下着を部屋の隅に

母は、とにかくよく洗濯をする人です。一日に何度も洗濯機を回すこともありました。

ズボン1枚と下着1枚だけを洗っていることもありました。

そんな母が、汚れた服や下着を部屋の隅に丸めて放置しているようになったのです。洗濯するつもりで忘れていたのでしょうか・・。とても悲しい気持ちになりました。

もっとあとで、普通の下着からトレーニングパンツに替える時がきます。その頃から、洗濯が好きな母は、私をとても、悩ませることになります。

 

思いつかない意外な母の行動

お米を洗って、炊飯器のスイッチを入れるのが、この頃の母の習慣でした。

助かる部分もあったのですが、ごはんがたくさん残っていて、その日は炊かなくてもいいという日でも、必ずスイッチをいれています。

ごはんが余って仕方ないので、炊かなくて良い日は、炊飯器の窯を別の場所に隠すようにしました。

その時、母がとった行動は・・・、私が、あまった味噌汁が入った鍋(ソースパン)を冷蔵庫に入れていたのですが、その味噌汁をわざわざ別の容器に移し、その鍋で炊飯器にセットしていたのです。

色や形が似ていたから、炊飯器の窯と思い込んだのか、炊飯器の窯のかわりにと思ったのか、それは定かではありません。

その鍋のサイズがあまりにも炊飯器にピッタリで、水が入った鍋を取り出すのがとても大変でした。

このように、考えられないことを言ったり、行動したりするのが、この頃多かった母です。

 

楽しみのデイサービスを週3日から4日へ

2015年の秋、そんな状態の母でしたが、デイサービスの連絡帳にこんなことが書いてありました。

「デイサービスを楽しいと思って来てくださることが、とても嬉しいです。私たちも、まわりの利用者の方たちも、とても楽しいです!」

そんな言葉をいただいたこと、そして当然、母もデイサービスに行くのを楽しみにしていたので、ケアマネージャーに相談したところ、介護1の範囲で、デイサービスの利用が週4日まで可能とのことでしたので、早速、1日増やしてもらって、週4日に変更していただきました。

デイサービスでは、「乳下部に発赤があります」「背中に掻きむしったあとがあります」など、自宅でお風呂に入らないので、私にはわかりにくいことですが、細かいところまで教えてくださいます。

その時も、主治医にお願いして軟膏をいただいてきました。デイサービスで、お風呂上りに毎回薬を塗布していただきました。

 

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