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人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)

主治医に認知症だと告げられ、要介護認定を受けるまで

母が認知症であることを知らされた日

2012年の終わり。

母が80歳になる直前、愛犬が老衰でいなくなり、その頃から母の認知症の症状は現れていました。それでも、当時の私は、“認知症”と言う言葉を頭に浮かべることさえありませんでした。

私を叔母(母の姉)と間違え、どこかに遊びに行った話をしてきたことがあります。あれは、おそらく、母が10代または20代の頃、姉妹で楽しい時間を過ごした時の話だったと記憶しています。

母は、愛犬との別れがあって、数か月も経たないうちに、右手首を骨折し、長い入院生活を過ごすことになりました。

入院前から、少し不安定だった母は、退院後、とても感情的になり、言動が激しくなっていったのです。まるで、子供から大人に変わる時期の反抗期のようでした。

今、思えば、母は、この頃から、人生を折り返し、どんどんもとの姿に戻っていったように思います。

当時は、そんな母の言動に対し、頼れる人がいなかったため、ことある毎に、母の主治医に相談していました。

そんな日々を繰り返しながら3年の月日が経ちました。ある日、母の付き添いで病院に行った時、主治医から衝撃的な話を聞くことになったのです。

それは、母が認知症であると・・

主治医から、そんな言葉を聞くとは夢にも思っていない私は、待合室で母といろいろな話をしたり、母の写真を撮ったりして、「遅いね・・」と言いながら、診察を待っていたことを思い出します。

 

厳しく私を育てた母

元気な頃の母は、昭和8年生まれにも関わらず、体格も良く、身長も私より高くて、同級生で親の身長を追い越せないのは私だけでした。

今はずっとベッドに寝たきりの状態ですが、母が自分の足で立っていた頃、私の肩の高さより低くなっていました。いつの間にか、そんなに小さくなっていたのです。

母は、とても気丈な人です。誰とでもすぐに仲良くなるタイプではない半面、何十年ものお付き合いがある方もいらっしゃいます。

私は、子供の頃から、とても厳しく育てられました。

母が40代の頃、まだ小学生だった私が、門限の17時を過ぎて帰宅すると、玄関の鍵を閉め、家の中に入れてくれなかったことがあります。

また、友達の家にどうしても泊まりたくて、母に言えば絶対許可してくれないと思った私は、母に黙って友達の家に行ったこともあります。友達の親にも、「連絡しないでください」とお願いしました。しかし、夕食を食べ終わった頃、友達の親が「お母さんが心配されるから」と母に連絡したのです。

そのとき母は、自転車で、30~40分かかる友達の家まで迎えに来ました。そして、強制的に連れて帰られたことがあります。

 

「なぜもっと早く疑わなかったのか」という後悔の連続

母が認知症・・・

その言葉は、あまりにも突然で「そうなのですか・・」と言う言葉しかありませんでした。でも、おちついて、今までの出来事や母の言動を考えると、あれもこれもと納得することがたくさんあり、それと同時に、自分に対し腹立たしさを感じました。

「そばにいたのに、なぜ、もっと早く気づいてあげられなかったのか・・」
「なぜ、おかしな言動があったのに認知症では?と疑わなかったのか・・」
「もっと早く専門の病院に行けば違ったのではないだろうか・・」

そんな後悔の連続です。でも、すでに認知症は進行していて、そんな後悔は、何の解決にもならなかったのです。

 

主治医に、要介護認定の申請を勧められる

主治医から、要介護認定の申請をするようにすすめられました。「今から、いろいろと大変になってきますので、申請した方が良いですよ」とのことでした。

その時点で、母との関係が大きなストレスとなっていた私には、これ以上、何がどんなふうに大変になるのか、想像もできなかったことを覚えています。

また、「要支援と要介護がありますが、出来れば“要介護1”でもいいから認定されたらいいですね」ともおっしゃいました。「要支援、要介護」について簡単に説明はしていただきましたが、正直、何のことなのか、どんな違いがあるのか、さっぱりわかりませんでした。

主治医は、母にも、要介護認定の申請について説明されました。母は、私以上に説明内容がわからなかったはずです。

でも、母は、主治医が、特別に母の心配をしていると思ったのか、私に自慢するかのように「先生にしっかり教えてもらって間違えないようにしなさいよ!」と、その場で私に言ったのです。

診察室を出てからも、「長く通っているから、先生も本当に良くしてくれるね」とも言っていました。自分は、特別な存在であると思いたかったのかもしれません。

おそらく、要介護認定を申請するという話を、私から説明しても、母は、聞く耳をもたなかったでしょう。何十年も通院して信頼している主治医だからこそ、素直に聞いていたのだと思います。

『何ごとも、本人がいちばん信頼している人にお願いする』これは、とても大事なことだと思います。

“家族だから素直になれない”そんな場面が、今後もたくさんでてきます。

 

介護保険のことを全く知らなかった私

2015年6月。要介護申請のため区役所に行きました。母が82歳の時です。

介護制度をすべて理解するのはなかなか難しく、今でもわからないことがあります。

当時は、申請方法も、その制度の認識もまったくなく、申請すれば、何が出来るのかさえ、真っ白な状態でした。区役所の総合案内に「要介護認定の申請にきました」と伝え、該当窓口に案内していただいたくらいです。

介護保険申請書”は、受付窓口にも準備してありましたが、主治医から本人が居住する市区町村のサイトからダウンロードできると聞いておりましたので、何もわからず申請に行くことが不安だった私は、市のホームページで確認しました。

ホームページには、問い合わせ先や申請に必要なものなども記載されていましたので、事前に準備することができました。

そして、素直に「介護保険制度の申請で何ができるのですか?」と窓口担当者にお尋ねしたのです。

簡単に言うと、“介護を必要とする状態になっても、必要な介護サービスを利用しながら、安心して生活が送れるようにするための制度で、その認定を受けるための申請が必要”そのような説明だったと思います。

認定の結果は、“要支援1~2”と“要介護1~5”に分けられていて、母の場合は、介護1から始まり、更新で認定結果が変わるたびに、受けられる介護サービスの範囲が異なってきました。

現在、母は介護4です。とても早いスピードで介護1から介護4になりました

この介護保険制度が開始された時、給料や母の年金からも介護保険料が差引きになることについて、不満がなかったと言えば嘘になります。

当時は、自分にはまったく関係ないことのように思っていたかもしれません。しかし、今現在もそうですが、この介護保険制度のおかげで、どれだけ助けられているかわかりません。この制度がなかった頃の、介護を支えていた人たちは、体力的・精神的・金銭的にも本当に大変だったと思います。

主治医からの意見書もすでに届いていたようで、何とか問題なく申請することができました。

 

要介護認定の調査担当者は、ちゃんと見ていた

申請日の数日後、要介護認定の訪問調査がありました。調査担当者は、女性1名です。

この時は、どんな調査をされるのか、とても不安でした。

今思えば、身体機能・起居動作・生活機能・認知機能・精神行動障害・社会への適応などについて調査されるようです。

担当者、母、私の三人で調査が開始されました。まずは、母に直接話しかけ、さまざまな質問をされます。

この時、私は黙って聞いていましたが、たとえば、担当者が「何にもつかまらず、自分で歩行できますか?」と母に質問された時、母は「はい。自分でスタスタ歩けます!」と答えたのです。

この頃の母は、転倒で右手首を骨折したこともあって、その怖さから何かにつかまらないと歩けないという状態でした。お風呂やトイレなどに手すりをつけたのもこの頃です。

出来ないことを出来ると答えていたので、事実と違うことは、ちゃんと本当のことを伝えた方が良いのではないかと思い、説明しようとしましたが、担当者が軽く私の前に手をかざし私の発言を止めました。

そのような状況もちゃんと理解されているのです。

反対に、正しいことではなく、母がどのように回答するかを確認されているようでした。

母との会話が終わる頃、担当者が「少し歩いてみましょうか?」と母に声をかけられました。10歩いかないくらいでしたが、母は、プライドからなのか、何かにつかまることなく歩いていました。

母を部屋に連れて行き、私が調査を受ける番です。この時「先ほど、お母さんはこうおっしゃっていましたが、実際はいかがですか?」と正しい情報を確認してくれます。

この時は、初めてのことでわからなかったのですが、調査担当者が本人に質問されている時は、本人がどんなふうに答えていても、そのままで大丈夫です。

1つわかった判断の基準は、生年月日は覚えているか、現在の年齢を即答できるかということみたいです。母の場合、生年月日は正しく答えていましたが、現在の年齢を聞かれると「さー、いくつでしょうー」とふざけてごまかしていました。

今でも、自分の名前や生年月日は言えます。でも、この頃から、現在の年齢は言えなくなっていました。現在の年齢がわからなくても、自分の生年月日を正しく言えるというのが、1つの判断基準になったようです。

 

要介護認定の結果通知

要介護認定の訪問調査を受けて、1か月後くらいに結果が届きました。

この時の結果は「要介護1」でした。

介護サービスを開始するために事業所の選択が必要とのことで、居宅介護支援事業所などのリストが同封されていました。

 

私の退職、そして引っ越し

私は、以前会社員で、その会社に定年まで勤める予定でした。

会社の諸事情もありましたが、母の言動が少しおかしくなったことや、残業も多く、万が一、母に何かあった時に対応できないかもしれないという不安も重なり、20年務めた会社を退職しました。

今は自営業を営んでいます。いつでも母の様子を確認できるように、自宅と事務所がすぐ近くにあるところを探し、長年住んでいた家を売却して引っ越しをしたのです。

要介護認定の結果が届いたのは、引っ越しをして間もない頃だったので、この付近の情報は、ほとんどわかりませんでした。

事業所の選択が必要と言われても、どこが良いのかわからなかった私は、ご近所で高齢のお婆ちゃんがいらっしゃる方に相談しに行きました。

いちばん最初にそのお婆ちゃんがお世話になったという事業所を教えていただいたのですが、今は違う事業所(介護施設)に行っているとのことでした。

「なぜ、変更されたのですか?」と確認したところ、その事業所は、この辺りでは大きいほうで、個人的には(娘さんとしては)良いと思うけど、利用者が多く、お婆ちゃんが大勢の人がいらっしゃることを苦手としていたので、少人数の介護施設に変えたとのことでした。

そんな部分もあるのかと改めて思い、母の場合はどうなのか・・・。ここでもまた不安がありました。

母は、もともと、人を家に呼ぶことはあっても、自分から出向く方ではなかったし、
みんなで集まって何かをするということも、まったく興味を持たない人だったのです。

それでも、事業所の選択は必要なことだったので、とりあえず、教えていただいたところに連絡しました。そして、このあと、今では、すっかり頼りにしているケアマネージャーと出会うことになります。