人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)

家族で過ごした忘れられない思い出

行き先を誤ってしまった家族旅行

母が80歳になる前、愛犬との別れがきっかけで認知症の症状が現れはじめました。この家族旅行は、その少し前のことです。

その時は、母が認知症を発症することなど、考えてもいませんでした。ただ、だんだんと足が弱くなっていることが気になっていた頃です。

母は一度も海外に行ったことがありません。

自分の足で歩けるうちに、一度は連れて行ってあげたいと思い、家族旅行を計画しました。

最初は、そのように母を思う気持ちで計画した旅行でしたが、結果として、行き先を誤ってしまい、母にとってはつらい旅行になってしまったのです。

海外ということもあり、母以外の家族が盛り上がってしまいました。

歩く速度も、ついつい速くなり、それなりに母を気遣ってはいたのですが、ゆっくりとしか歩けない母を待つ時間がもったいないとさえ感じていました。

みんなについて行きたくても早く歩けない

見たこともないところで言葉も通じない。食事も口にあわない。不機嫌で楽しそうではなく、何かと文句を言っていました。

母以外の家族だけが楽しんで母を孤独にさせてしまったと思います。

旅行中、母がどんな気持ちだったのかを考えると、本当に悪いことをしたと反省しています。家族旅行は、家族の気持ちではなく、母の気持ちをいちばんに考えるべきでした。

ただ、ステーキハウスのパフォーマンスを目の前で見たときは、母もとても喜んで、楽しく食事をしたことが唯一の救いです。

海外旅行に行く前に、飛行機に乗ったことがなかった母を、乗せてあげようと沖縄に行ったことがあります。

この時は、叔母(母の姉)も一緒に行きました。叔母がいることで、はじめての飛行機をこわがりながらも、とても楽しそうでした。

母のペースに合う人といっしょにいること、または家族がペースを合わせてあげることが大切なことだと思います。

このことに気付いて海外旅行に連れていけば良かったと、今更ながら反省しています。

 

やっぱり温泉がいちばん!

海外旅行の反省を兼ねて、家族で温泉旅行に行きました。

認知症とは想像もしていませんでしたが、80歳の母の言動が、時々おかしいと感じていた頃です。

途中で立ち寄った動物公園で、たくさんのひまわりが咲き乱れる中、母は、誰の手も借りず、みんなと並んでしっかり歩いていました。

今、思えば、母が自分の足で、歩いている姿を見たのはこれが最後だったと思います。

母は何度も振り向き、その様子を録画していた私に「早くおいで!」と声をかけていました。この動画を何度も見ています。

そんな母に、「前を向いて歩かないところぶよ!」と答えている私の声が、懐かしくもあり、悲しくもあります。

母は「みんなで遊びに行こうか」と声をかけると、毎回、気乗りしない態度をとります。

素直になれないのか、照れているのか、本当は嬉しいのかもしれないけど、素直になれず、そんな態度しかとれなかったようです。でも、この温泉旅行は、とても喜んでいました。

一緒にお風呂に入り、母と私、お互いに背中を洗いました。とても良い思い出です。

 

サファリパーク(動物が好きな母のために)

母が81歳の頃、足にはむくみもあり、かなり弱くなっていました。転倒をおそれ、何かにつかまらなければ歩けなくなっていた頃です。

“母が楽しめて、あまり歩かなくて良いところ”というテーマで行き先を考え、サファリパークに行くことにしました。

ずっと車で移動できるので歩く心配もなく、動物が好きな母でしたので、とても喜んでいました。

売店に行く時だけ少し歩きましたが、ずっと孫の腕を握りしめ、ゆっくりと歩いていました。それはそれで、母は嬉しそうでした。

さまざまな動物を見て、まるで子供のように、はしゃいでいました。

 

車椅子にいやいや座った母

サファリパークに行った時、母がとても、喜んでいたので、動物に直接触れあえる動植物公園に行きました。

ただただ、母が自分の足で歩けるうちにという思いで、たくさん家族で出かけていた頃です。

何かにつかまりながら歩いていた母でしたが、思った以上に歩く場所が多く、それを心配していると、スタッフの方が「車椅子の貸し出しが出来ますよ」と声をかけてくださいました。

この頃の母は、車椅子にとても抵抗がありました。「車椅子に乗るようになったらおわり」とまで言っていたほどです。

何とか座らせようと母を説得しましたが、頑固として応じず、あきらめかけていた時、孫が「ばあちゃん!俺が押すからこれに座って!」と言いながら、母の目の前まで車椅子を持ってきて、母を車椅子に誘導しました。

驚いたことに、あんなに「いや」と言っていた母が、素直に座ったのです。何と言っても、孫がいちばんなのですね。

実際に孫に車椅子を押してもらうと、ご機嫌で「楽ちん、楽ちん」とふざけていました。

本当は、母も歩く自信がなく、できるなら車椅子を押してほしいと思っていたのかもしれません。

このあとから認知症はどんどん進行しますが、この頃は、まだ時々症状が出るくらいでしたので、素直になることに抵抗があったのだと思います。

孫には比較的素直になりますが、私には反発することが多く、母の本当の気持ちを理解するのが難しかった頃です。

 

クリスマス(母と二人で見たイルミネーション)

母82歳のクリスマス。家族で食事に出かけました。

糖尿病があるので、あまり食べられないのですが、何かのイベントの時は多めにみていました。

母は食べることが大好きです。この頃も、糖尿病のことは忘れているかのように、とにかく良く食べていました。

血糖値を心配して主治医にも相談していたのですが、「高齢になると“食欲”が何よりの楽しみで、それを我慢させるとストレスになってしまう。ある程度であれば仕方ない部分ではあります」と仰っていました。

特に外食では、残してはいけないと思うのか、注文したものをほとんど完食していました。

母に、パジャマをプレゼントしました。「はい!プレゼント!」と言って渡すと、母は、「ありがとう。あら?今日は私の誕生日だった?」と言いました。

喜んでくれましたが、クリスマスであることを理解していないので、なぜプレゼントを受け取ったのかもわかっていなかったようです。

デイサービスでもクリスマスのイベントがあります。スタッフの方がサンタクロースになったり、ツリーを飾ったり、サンタクロースからのプレゼントもあり、利用者の方は、とても楽しい時間を過ごしていらっしゃいます。

この年のデイサービスのクリスマスイベントは、母の通院日と重なり、残念ながら参加できませんでしたが、翌日デイサービスに行った時、母にプレゼントを渡してくださいました。

母が持って帰ってきたプレゼントを一緒に見ていたら、その中にカチューシャとヘアゴムがありました。

母が、「これは、私は使わないからあげる」と言って私に渡しました。このカチューシャとヘアゴムは、母からのプレゼントとして、今も私が愛用しています。

病院の帰りに、母と二人でイルミネーションを見に行きました。入場料が車一台500円でした。

イルミネーションと言っても、どんなものなのか、まったくわかっていなかった母は、「500円って高いね」と言っていましたが、たくさんのイルミネーションを見た時、「わー!目が覚めるみたいに綺麗だね~!これで、500円は安いね!」と言っていました。

待ち時間が、けっこうあり、母のトイレを心配していましたが、何とか大丈夫でした。

 

この頃の母は・・・

どんなに喜んでくれたことも、すっかり忘れてしまいます。でも、その瞬間だけでも喜んでくれたらそれでいい、と思っていました。

デイサービスの連絡帳には「いつもお話がはずみ楽しそうです。顔なじみの方がお会いするのを楽しみにされています。お人柄でしょうね。」と書いてありました。

母が楽しく過ごし、母と会うことを楽しみにされている方がいらっしゃることに感謝していました。

ショートステイの連絡帳では、「特に痛みの訴えもなく、しっかり歩行されています。」と書いてありました。今、そんな連絡帳を見ると、この頃はしっかり歩いて、リハビリも頑張っていたのに・・・と悲しくなってしまいます。

高齢者は、とても小さなきっかけで大きな変化となってしまいます。母も、1年ごとに認知症の症状や歩行状態が変化してきました。

いつ、どんな変化が起こるかわかりません。

その時、その時で、母がどんなふうに感じていたのかはわかりません。でも、歩けるうちに、楽しめるうちにと思い、いろんなところへ連れて行ったことが、今となっては、家族と一緒に過ごした母との大切な思い出になりました。

 

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