人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)
ほめほめ作戦
83歳の母は認知症を発症しても、まだ見出しなみ(おしゃれ)は忘れていませんでした。お化粧もすこし“?”な部分はりあますが、一応きれいにして白髪もとても気にしていました。
少しでも白髪が目立つようになると、私に「白髪がいっぱいあるから髪染めて」と言ってきます。
そのたび、自宅で染めていたのですが、デイサービスに行きだしてからは行くたびに毎回お風呂に入ってくるので、自宅で入浴することがなくなりました。
足元が危ないため、自宅での入浴はしなくなっていたのです。
髪を染めたあとのシャンプーをどうするか・・・
洗面所で母の髪を洗うことも考えましたが、やはり足がふらふらして難しい状態でした。
美容室に連れて行こうとしても、実際の理由は、外に出たくないというのが大きかったと思いますが、「わざわざ高いお金払って美容室に行かなくても家で染めたらいい」と言います。
そんな状態で、今後の白髪染めをどうするか悩むようになりました。
「白髪を染めるのをやめようか?」と母に言うと、デイサービスに仕事に行っていると思い込んでいた母は、「私の仕事は客商売だから白髪頭じゃだめ!」と言い、反発しました。
そこで私は、母の白髪染めをやめるための作戦を開始したのです。
まず、「白髪染めは頭皮にも体にもあまり良くないよ。だから染めるのをやめたほうが良くない?」と言い聞かせました。
それに対する反応は「それは、わかっているけど染めないわけにはいかないから仕方ない」と言われ失敗に終わりました。
その日も結局白髪染めをすることになり、私も一緒にお風呂に入り母の髪を洗いました。
髪を染めている時、母も、白髪染めがあまり良くないということはわかっていたようで、思いっきり力をいれて目を閉じていました。そんな母を見て吹き出しそうになったことを思い出します。
次は、母をほめる作戦です。
母が「白髪染めて」と言ってくるたび、「けっこう白髪が延びたね。でもきれいだよ。まだ黒い髪が残っているけど、全部白くなったらすごく上品な感じになるね。早くそうなるといいね。」と褒め続け、白髪染めの期間を延ばしていきました。
毎回褒めることで、母の反発が少なくなり、あっという間に母の髪は真っ白になりました。
デイサービスのスタッフの方にも、母の白髪を褒める作戦に協力していただきました。自宅でもデイサービスでも褒められることで、母もそれなりに気にいっている様子でした。
やはり、ほめることが一番のようです。
真っ白になった母の髪は印象を柔らかくして、何となく母の性格まで柔らかくなったようでした。
その後、母の白髪染めをすることはなくなりました。
貼り紙作戦
母がリハビリパンツを洗濯機で洗い、そのあとの処理に困っていた時のことです。
洗濯しないようにするためにはどうすればいいか・・・いろいろと悩んだことがあります。いくつか試した中で、どの方法で効果があったのかはわかりませんが、結果的に洗濯機で洗うことは少なくなりました。
作戦を実行するたび連絡帳に書くと、失敗するたびに「作戦失敗!残念でしたね。」とデイサービスから返事がきて、半分楽しみながらやっていた部分もあったように思います。
作戦1 洗濯機のコンセント抜いて隠す
母は、スイッチが入らないため、洗濯機が故障していると思ったらしく、それであきらめるだろうと安心していたら、驚いたことに洗面台で手洗いしていたのです。
当然、洗面台はリハビリパンツのドロドロや紙がたくさん詰まって、水が流れなくなりました。
コンセントは洗濯機の後ろ側に回して止めていたのですが、数日後、そのコンセントをみつけたらしく、しっかり洗濯機で洗ってありました。
作戦2 洗濯機横の壁に貼り紙
「紙パンツは洗濯機で洗わないでね」「紙パンツは紙だから袋に入れて捨てようね」とマジックで大きく書いて貼りました。
しかし、母は、側面の壁には目がいかないようで、その貼り紙にまったく気づいてない様子でした。
作戦3 洗濯機のフタに貼り紙
壁がだめだったので、絶対目につくようにと洗濯機のフタに貼りました。
さすがに気付いた様子で、貼り紙を破ったあとがありました。テープと少しの紙が残っていたので、破り捨てたような感じでした。
洗濯機を見ると、やはりタオル生地のパジャマとリハビリパンツが洗濯してありました。ブルーのパジャマは、リハビリパンツの紙で真っ白になっていました。
作戦4 定期的に回収
次は、定期的にゴミ袋を持って母の部屋に行き、リハビリパンツを回収する作戦です。
いつもは母がデイサービスに行っている時に母の部屋の掃除をして、リハビリパンツも捨てていたのですが、あえて母がいる時に実行しました。
探しながら「紙パンツの捨てる分はない?」と母に言うと、最初は「捨てるものはない!」と言っていましたが、私が放置されているリハビリパンツを回収しているのを見て、「そこにもある」と自分から指さすようになったのです。
この後も、洗濯機で洗うことはありましたが、徐々に少なくなり、最終的に、洗濯はしなくなりました。
そのかわり、汚れたリハビリパンツの放置が私を悩ませることになります。
ウォッシャブル作戦
母の失禁は、どんどんひどくなっていきました。
母が座る座布団は、リハビリパンツを履いているにも関わらず、丸い(お尻の形)シミになっています。
母は、座布団が濡れていてもわからないようです。ひどい時は、座布団がかなり重くなっていたこともあります。
そこで、洗える座布団とかわいいウサギの座布団カバーを買いました。しかし、母が使っていた座布団は、母の物なので、それを使わないとなるとまた機嫌が悪くなります。
「座布団買ったよ!」と言う私に対し、見る前から「座布団はあるのに何でわざわざ買ったの?」と言われてしまいました。
そこで私は「それは良い座布団だから普通使うのにはもったいないでしょ?それはお客さんが来た時に使って、普通はこっちを使ったら?」と言ってみました。
半分納得していた母に、ウサギの座布団カバーを見せて「ほら、かわいいでしょう」と言うと、ようやく受け入れてくれました。
それからは、ほぼ毎日、座布団とカバーを洗うことになり、ウォッシャブルとは言え、さすがに洗いすぎて座布団はクッションがボロボロに、座布団カバーはウサギが見えなくなるほど色落ちしてしまいました。
ベッドの敷布団も同じでした。
天気が良い日は、母がデイサービスに行っている間に毎回、消臭スプレーをして、外に干しましたが、尿臭が消えることはありません。
防水シーツは敷いていたのですが、防水なだけに、吸収しないため、母も濡れているのが余計にわかるようでした。必ず、夜中に自分で防水シーツを取っていたのです(下半分折り曲げた状態です)
1枚でだめならと思い、防水シーツを2枚重ねて敷くことにしました。その結果、1枚よりは布団が濡れる確率は減ったものの、やはり絶対というわけではありません。
防水シーツは、洗濯しても乾きにくく、毎回洗濯が必要なので合計4枚準備しました。しかし、布団の尿臭はどんどんひどくなり、その臭いにたえられず、洗える布団を買いました。
座布団と同じく、母が自分で買ったお気に入りの布団だったのでので、母は違う布団を使うことに反抗していました。
説得する方法を考え、ネコには悪かったのですが、ネコが時々、家の中で粗相をしていたので、それを利用してネコのせいにしました。
母に、「ネコがお母さんの布団におしっこしているんだよね。臭いでしょう?」と言うと「だろうね。何か臭いと思ったもん」と返ってきました。
私は続けて「臭いから眠れないでしょう?干したけど臭いとれないのよね。とりあえず新しい布団買ったからこれでいい?」と言うと、素直に受け入れたのです。
この時、もしかしたら、母も気づいていたのかもしれません。自分の失禁で布団が臭いことを。
しかし、別の日になると、そんなことはすっかり忘れ「これは私の布団ではない。私の布団がなくなった」と言い出します。
何度も繰り返し言うので、透明の布団袋に入れ、臭いがしないように密封して、母の目につくタンスの上におきました。
その後、母が同じことを言った時、「あそこにあるよ」と指さすと布団を確認して何も言わなくなりました。
使い切り作戦
便失禁での母の行動にも悩まされました。
トイレの床や壁、便器が汚れていることがたびたびあったのです。
母も自分で汚したことがわかるようで、掃除した後があります。拭くために大量にトイレットペーパーを使うようです。
少しずつ流せばよいのですが、一度に流すようで、トイレの水が流れなくなりました。
いろいろと努力してみましたが、結局業者を呼ぶことになり、やはり大量のトイレットペーパーのかたまりとその他、流してはいけない物もありました。
トイレをつまらせないようにするための作戦を考えました。
“たくさんあるから、たくさん使う”という考えから、トイレットペーパーのストックを入れず、ホルダーにも一度に流しても大丈夫くらいの少なめのトイレットペーパーを入れました。
他の家族が使う時は、別に保管している場所のトイレットペーパーを使うようにしたのです。
家族の協力もあり、その後、トイレが流れなくなることは防げました。
この頃は、母の認知症の状態に付き合いながら、いろいろ作戦を考えていた頃です。
今となっては、とても懐かしく感じます。