人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)
発症から4年の間にさまざまな症状が現れる
振り返ると、母が80歳になる少し前から、認知症の症状は現れていました。
母の言動が、時々おかしいと感じてはいましたが、私は、その症状は高齢のためのものであると思い、自分の母親が認知症であるということをなかなか認めることができませんでした。しかし、それは、まぎれもなく認知症の症状だったのです。
発症から4年の間に、さまざまな症状があらわれ、その症状に合わせた介護に追われているうちに、母の症状は驚くほど進行していきました。
デイサービスでの母の様子
(初詣)
新しい年を迎えると、デイサービスから、初詣に連れて行ってくださいます。途中ショッピングセンターにも連れて行かれます。
このとき母は、キンカンを1袋買ってきました。なぜキンカンを買ったのだろうと思い、母に「キンカン食べたかったの?」と聞くと「キンカンじゃないよ。小さいミカンがあったから買ってきた」と言うのです。
母は、ミカンとキンカンの違いもわからなくなっていました。
ミカンと思っている母は、小さいキンカンの皮を一生懸命むいて口にいれました。
しかし、何か違うと思った様子で、その1個を食べたあとは、そのまま放置し自分の部屋に入っていきました。
メロンパンも3個買っていました。帰宅時間が17時過ぎだったので「今日はもう食べない方がいいよ。明日の朝食べたら?」と母に伝えると「そうね」と言っていましたが、19時頃、母の部屋に行ってみると、メロンパンは既に1個しか残っておらず、上衣は着たままでズボンだけ脱いでベッドに入り熟睡していました。
夕食や薬の関係もあるため、母をそっと起こしました。母は、朝なのか夜なのか時間がわからなくなっていました。この時は、眠っているところを私に起こされたので特に勘違いをしたようでした。
母「何?こんな夜中に」
私「夜中じゃないよ。まだ7時だよ。」
母「7時?私は時間もわからなくなったのだろうか・・・」
私「今から夕食作るけど、メロンパン2個食べたみたいだね」
母「パンなんて食べてないよ。」
私「でもね。お母さんが今日3個買ってきたでしょ。今1個しかないよ。食べたあとの袋もあるよ」
母「私が食べたのか・・・食べたのかどうかもわからなくなったのだろうか・・」
この時は、特に反抗することもなく、私の言葉に不安そうに答えていました。
夕食はやめて薬だけ飲ませて、母はそのまま朝まで眠っていました。初詣に行き、久しぶりの外出で疲れていたのかもしれません。
(家族会)
デイサービスで定期的に家族会が開催されます。デイサービスのスタッフの皆さんはもちろん、私と同じ悩みを持っていらっしゃる利用者のご家族といろいろお話ができる良い機会です。
この時は、スタッフの方から、母がとくに仲良くさせてもらっている方のご家族を紹介していただき、同じテーブルで楽しく過ごしました。
この頃の母は、私がそばにいると、まわりの人に「うちの一人しかいない娘!」と言って私を紹介していました。まったく同じセリフで何度紹介されたかわかりません。
家族会の時も、紹介したことを忘れ、同席したご家族の方に、何度も繰り返すので、お互いどう反応するべきか困っていると、デイサービスのスタッフの方が「自慢の娘だから何回も紹介したいもんね!」と言いながら母の肩に手を置かれ、そのあとまったく違う話をされたのです。
そのことで、母の繰り返しは止まりました。
(出血の連絡)
デイサービスから「下着に出血が見られます。ケガなのか他の原因なのかは確認できません。病院受診をおすすめします」と電話連絡がありました。
受診したところ、便が固いため、無理に排便したことで、傷になり出血しているとのことでした。便を柔らかくする薬をだしていただきました。
その後、デイサービスはもちろん、私も母の下着を念入りに確認しましたが、出血がどんどん薄くなっていき、無事に完治しました。
家庭では気づかないこともありますが、デイサービスで母の体の状態をよく見てくださって、早めに教えていただけるので、とても助かっていました。
自宅での母の様子
(食欲がなくなる)
食欲は私以上にあった母でしたが、急に食が細くなったことがあります。食事の準備ができても、「あとから食べるから置いといて」と言って、食べようとしなくなったのです。
食後の薬も飲まなければいけないため、くだものやヨーグルト等を母の部屋に持っていくと、主食以外のものは、いつの間にか食べていました。
デイサービスからも、昼食時「食べない方が良いみたい。気分が悪いわけではないけど・・」と言い3割ほどしか食べなかったという報告もありました。食べないので血糖値はおちついていましたが、体力と栄養不足が心配でした。
同じ頃、眠っている時間が長くなりました。
デイサービスから帰宅すると、そのまま畳に横になり眠ってしまうのです。「畳に寝ていると風邪ひくよ」と声をかけると、置きようとしますが、体が動かないようで、なかなか起き上がれません。
食欲もなく、疲れている様子の母でしたが、不思議なことに朝からはとても元気が良いのです。特にデイサービスに行く日は、体を痛がる様子もなく、朝食も完食し、はりきって出かけます。
(ケアマネジャーに相談)
ケアマネージャーに、母が疲れている様子で夕食もあまり食べないことを相談しました。
「高齢になると体力が続かないようになります。デイサービスに行き、良い意味での緊張感から疲れているのではないでしょうか。デイサービスから帰宅後、いつも眠っているベッドで熟睡させてみてください。」とアドバイスをいただきました。
早速、そのアドバイスを実践しました。デイサービスから帰宅後、まず母が畳に座らないようベッドに誘導しました。
熱いお茶を母に渡し「眠くなったらそのまま眠ったらいいよ。夕食ができたら起こすからね」と言うと「うん。そうね。」と素直に返事をしてベッドに横になりました。
熟睡したことですっきりしたのか、夕食もおいしそうに食べていました。やっぱりケアマネジャーはすごいです。
他にも、朝、インスリンを注射しようと思って母の右手に触った時、ピクピクとケイレンしたことがありました。ケイレンが気になり、この時もケアマネジャーに相談しました。
デイサービスでもその日一日ケイレンを確認していただいたのですが問題なかったようです。ケアマネジャーが、「寝起きに水分をとっていない時、ケイレンすることがあるようです」と教えてくれました。
それからは、母の一日のスタートは水分補給から始まるようになりました。
(転倒防止)
母が、コタツ布団で転倒する可能性があるため、この年の冬からコタツは使わず、ファンヒーターで過ごすことにしました。
エアコンも考えましたが、エアコンは暖かくないと嫌がりました。エアコンより、ファンヒーターの温風を好んでいたようです。
転倒防止にはなりましたが、ファンヒーターにしたことで新たな問題が発生します。暑さがわからないのか、母はファンヒーターのすぐ前に座ります。
起きている時は、まだ良いのですが、そのまま眠ってしまい、ファンヒーターと頭の位置がわずかしかないこともありました。
「暑くないの?近すぎると危ないよ」と何度注意しても無駄でした。これだけは、どうしようもなく、たびたび確認しに行く必要がありました。
(お化粧)
この頃はまだ、お化粧を忘れずにしていました。
朝からデイサービスに行くつもりで念入りにメイクしていた母に「今日はお休みだよ」と言うと「あら~準備できたのに」と言っていましたが、午後から、更に念入りにお化粧をしていました。
朝したメイクの上からまた重ねていたので、母の顔は真っ白になっていました。
(母の日のカーネーション)
母の日に、カーネーションを花瓶に入れ、母の部屋へ持っていきました。
「今日は母の日だからね」と言うと「わーきれいだね」と言ってくれたのですが、30分も経たないうちに、冗談のつもりで、「このカーネーション誰にもらったの?」と母に聞くと、「誰か知らないけど、いつの間にかそこに置いてあった・・」と言いました。
何とも言えない寂しい気持ちになりました。
(悪臭への慣れ)
母の部屋から、だんだんと、むせてしまうような悪臭がしてきました。しかし、不思議なことに、時間が経つとその悪臭に慣れてしまうのです。その場所にいる限り、まったく臭いがわからなくなります。
母も同じように、その臭いに慣れてしまってわからないのかもしれませんが、時々、風向きなどで悪臭を感じると「何か臭いね。おしっこした?」と犬に言っていました。
自分の失禁で部屋が臭くなっていることなど、まったくわかっていませんでした。
(母の誕生日)
母 83歳の誕生日の時です。
朝から母の髪をカットして、白髪染めもしました。この時の母は、「真っ白になってみぐるしい」と、とても白髪を気にしていました。「誕生日でまた1つ歳とったのに反対に若返ったね」と言いながら母と二人で笑いました。
デイサービスからは、にっこりと笑っている母の写真を中心にスタッフの方からのお祝いの言葉が書かれた色紙をいただきました。母はその色紙をずっと見ていました。
しかしこれも、時間が経つと、そこに写っている自分の写真を見て、「これはどこで写した写真?何でこんな写真があるのかな?誰がもってきたのかな?」と言っていました。
ケーキも準備して、家族みんなで食事をしながら母の誕生日をお祝いしていたのですが、母はケーキを見て、「今日は何かのお祝いだったかな?」と言い、自分の誕生日という認識はまったくしていませんでした。
服をプレゼントしました。瞬間的には自分へのプレゼントと理解しますが、「この服は私のではない。誰のだろう?」と言い出します。
これから先は、誰がいつ何をしてくれたのか、そんなことさえも、だんだんわからなくなるのだと思います。これから先のことを嫌でも理解しなければならないと感じた頃です。
(記憶障害?)
突然、食欲が少なくなった時期もありますが、反対にとても食べる時もありました。夕食までの間に、果物・お菓子など間食していた母でしたが、とうとう本格的にご飯を食べるようになったのです。
夕食前の血糖値が高いことは、よくあることでした。
母に「また何かいっぱい食べたでしょ」と聞くと「もうご飯食べた」と答えました。あらためてまわりを見ると、確かに母のお茶碗とお皿があり、キッチンに行くと、玉子焼きを焼いたあとがありました。
この頃は、玄関のカギを中から閉めだしたり、一人で食事をしたりという症状がありました。
過去、2年程ですが、母が一人暮らしをしていた時があります。もしかすると、これらの症状は、その頃の記憶になっていたのかもしれません。