人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)
家族の悪口をご近所の方に話す母
母に認知症の症状が少しずつ現れ出してから4年がたったころです。新しい年になって3日目に、ご近所の方が挨拶に来られました。その人から聞いた話です。
誰の話なのかは言わなかったらしいのですが、突然母が、「元旦にお酒をかぶかぶ飲んで、ぐたぐたに酔っ払って」と話し出して、その話は、「近所の人が挨拶にきてくれたのにちゃんとした挨拶もできない。申し訳なくて、 ”すみませんね、酔っ払っていて” と私がお詫びしたら ”お正月だからいいじゃないですか” と言ってくれたからよかったけど。」と続いたそうです。
おそらく、家族の誰かのことを言っているような内容ですが、実際、我が家で元旦に飲んだお酒といえばお屠蘇ぐらいです。他にお酒は飲んでいないし、来客もその人が初めてでした。
もしかしたら、その人が来られた時に「〇〇さんが挨拶にきてくれたよ」と母に伝えたので、その言葉が引き金になったのかもしれません。
まるで、本当のことのように具体的に話します。
その瞬間の受け答えも、認知症を発症する前とまったく変わりません。母が認知症であることを知らない人はそのまま信じてしまいます。
そのご近所の方は、デイサービスがお休みの日に、母の話し相手をしに時々遊びに来てくれました。以前から、母はその人に「毎日仕事に行くから(デイサービスのこと)忙しくて疲れる」などと話しをしていたことがありました。
家族以外の人に知らせることは多少抵抗がありましたが、そのままでは、誤解されることもあると思い、その人には母が認知症であることを事前にお話していました。
「普通に話していてもまったくわからない」と驚きながらも、そのことを受け止めてくださり、気遣いながら母と会話をされていました。そのお正月の話を私に伝えてくださった時も「けっこう進行しているかもしれないね」と仰っていました。
介護施設に行っている時はまだ安心できるのですが、自宅にいる時は家族だけでは行き届かないこともありますので、ご近所に理解と協力をしてくださる方がいらっしゃることは、とても心強く助かりました。
物を持っていかれたと家族を疑う母
とにかく何でも、母がふと思い出し、見える範囲にその物がない時、必ず家族を疑います。
その言い方がとてもきついのです。
自分の部屋の物、自分が買った物を、自分でどこかに移動しているのに、何度も何度も「勝手に持っていった!」「捨てられた!」と強い口調で繰り返します。
こんな時は、情けないような、腹がたつような、そんな母の声を聞きたくなくて、耳をふさいでいました。
この年の、お正月も、お節の重箱を保管する箱がないと言い出しました。 母が、漆塗りだからと、とても大事にしている重箱です。
重箱は、母が部屋から持ち出してきたので、箱は誰も見ていませんでした。
何度か「知らないよ。箱は見てないよ」と返事しましたが、あまりにもしつこいので、母の部屋に探しに行きました。
重箱の箱は、母の部屋の押しいれにありました。
「これのことじゃないの?!」と言って母にその箱を見せると、「あ~それそれ。あったね」この一言で終わりです。
母は、何とも思っていないし、まして、家族に言ったことや、そんなことがあったという事実も、すぐに忘れてしまいます。しかし、こんな時、さんざん罵倒された家族にはとても嫌な思いが残ります。
デイサービスにもそんな母の様子を相談しましたが、デイサービスにいる時の母からは、想像もできないと仰います。自宅とデイサービスで何が違うのか・・・
自宅には自分の物があるから?
相手が家族だから?
いろいろ考えてもわかりません。とても悩みました。
鍵を中から閉める、洗濯機を止める
年末に、家中のカレンダーを、新しい年の月別のカレンダーに交換しました。しかし、困ったことに、母が、カレンダーを次々に破っていくのです。
おそらく、今が何月なのかがわからず、カレンダーを見るたび、月が違うと思い破ってしまうのだと思います。新しい年をむかえた時、我が家のカレンダーは、場所により月がバラバラになっていました。
また、この頃から、玄関のカギを家の中から閉めるようになりました。
うちは同敷地内に、事務所と自宅があります。事務所にはトイレがないため、毎回自宅に行きます。そのたびカギを開けるのは面倒なので、仕事時間内は自宅のカギをかけていません。
このことで、母と言い合いになったことがありました。
午前中、カギが閉まっていたので、母に「カギは閉めないでね」と言うと、「カギを閉めたことはない!そんな権利はない!私は玄関から出入りしない。自分の部屋から出入りしている!」と意味のわからないことを大声で言っていました。
午後にも、まったく同じことがありました。仕事を終え、自宅に戻った時も閉まっていました。こんな時、私の口から、ついでてしまうのです。「だから!」という言葉が。
「だから!カギは閉めないでよ!」と。
洗濯機が途中で止まっていることも度々ありました。母が水道の蛇口を閉めていたのです。
母が自宅にいる時は、洗濯機が止まっていないか何度も確認しに行く必要がありました。繰返す母にその時も「だから!洗濯が終わらないから水止めないで!」と言っていました。
すぐに忘れてしまう母には、カギも、水道も、何度も閉めている記憶はないのかもしれません。記憶にないのに、私から「だから!」と言われ、それを責められていると感じていたはずです。
そんな母から返ってくる言葉は、「すみませんね!馬鹿だから何回言われてもわからない!」でした。自分で言ってしまった言葉が原因ではありますが、母にそう言い返されるたびに辛い思いをしました。
母はどんな気持ちだったのか・・・
食事は、母の健康を考え、母の好きな物をと思い作っていましたが、この頃は、食事の準備ができて、母に声をかけても、部屋からなかなか出てこなくなりました。
夕食まで待てずに、いろいろ食べているから食べられないということもあると思います。夕食前(本来空腹時)の血糖値が300近くあることも少なくありませんでした。
結局食べないのかなと思っていると、他の家族が食べ終わる頃になって、やっと部屋から出てくるのです。そして、母の席に準備してある冷めたごはんを食べ始めます。
母が食べ終わり、お茶碗を洗おうと取りに行くと、「自分で洗うからいい!」と言って、お茶碗を自分の方へ引き寄せます。
こんな時の母の気持ちは理解できませんでした。
昔から、「子供の世話にはなりたくない」と言っていた母です。そんな気持ちの表れなのでしょうか。
朝と夜がわからなくなった母
夕食時、母が、食後の薬を自分でテーブルに出していました。しかし、その薬の袋には”朝食後”と書かれていました。
「お母さん、これ朝食後に飲む薬だよ」と言うと、「何で?朝食後だから間違ってないよ」と答えます。
「今から夕食だよ」と言うと、母は、怒り気味に、黙ったまま”夕食後”の薬の袋をだしていました。
この時の母の沈黙は、自分で朝食と夕食を勘違いしたことがわかったからだと思います。
その時の母は、とても不安だったと思います。私には想像もできません。
時間をあけて冷静に考えると、そう思えるのですが、その瞬間は、どんなにやれることをしてあげても、正しいことを伝えても、どうしても反発した態度をとられることが、とても辛かったことを思い出します。
”夕食後”と”朝食後”の薬を食卓テーブルに置いたまま食事が終わり、母が薬を飲もうとした時です。2つの薬の袋を見て「うん?何で朝食後の薬がここにあるのかな?」と言いました。
食事をしたことで、食事前にあった出来事をすっかり忘れていたのです。
母は、家族を傷つけるつもりはないのかもしれません。この頃の母は、忘れてしまう症状が増えてはきましたが、まだ、ちゃんと理解している時もありました。
自分自身で何かおかしいという不安があった頃だと思います。自分に対し、悔しさもあったと思います。そんな母の精神状態が、家族に対する激しい言動(あまえ)となってしまったのかもしれません。
今振り返れば、もっと大きな気持ちで受け止めてあげれば良かったと思うことがたくさんあります。でもそれは、その時、その時には、とても難しいことでした。