人生は折り返して元の姿に戻る(MGさん/50代女性)
母がいるテーブルからはいつも笑い声がする
「今日は同じテーブルで、隣同士になった利用者の方と、お話がとてもはずまれていました」と連絡帳に書いてありました。
母が、他の利用者の方と、問題なく過ごせるだろうかと心配していたのですが、そのことを知って安心しました。
その後、日を重ねるごとに、母の意外な一面があらわれてきます。
デイサービスのスタッフの方から、「顔見知りの人がどんどん増えて来て、新しい利用者の方が来られると、自分から積極的に話しかけられます。」そのような話を聞くようになりました。
母がいるテーブルからは、いつも笑い声がするそうです。消極的でいつも下を向いている利用者の方もいらっしゃるそうですが、その方を母と同じテーブルに座らせると、母が話しかけるので自然と会話をして笑っていらっしゃると言う話も聞きました。
「入浴中も、他の利用者の方と楽しく会話しながら入っていらっしゃいます。テーブルで笑い声が聞こえると、私たちも安心して、他の事もできるのでとても助かっています」
スタッフの方が、そのように言ってくださることが、嬉しくもあり、ありがたく感じました。
デイサービスでの母の存在の大きさ
私が知っている母は、「そんなところ(デイサービス)には行かない。知らない人と何の話をするの?」と言うような人でした。そんな母が、よく知らない人に、自分から話しかける・・・。
それは、すぐには信じられないことでした。
私を育てることに一生懸命で、母にそんな余裕がなかったから、私には、そのように見えていたのでしょうか。
認知症の影響かもしれませんが、デイサービスにいる時の母が、もしかしたら本当の姿だったのかもしれません。
しばらくして、母が入院のため、デイサービスをお休みする時がきます。お休み中、母の経過報告をしに、デイサービスに出向いた時、驚く話を聞きました。
母の隣にいつも座っていらした利用者の方が、母がデイサービスに来なくなったことで、「来ても(デイサービスに)おもしろくない」と言われるようになり、最後には、まったく来られなくなったそうです。その後、うつ病状態になられたと聞きました。
私はその話を聞いて、母のデイサービスでの存在の大きさを知りました。
入院中の母に、そのことを伝えました。「あー!たぶんあの人だろう」とわかったように言っていましたが、それが本当に、同一人物として一致していたのかはわかりません。
「早く退院して、またデイサービスに行かなきゃ」と言うと、デイサービスに仕事に行っていると思っていた母は「うん。そうね。忙しいから。支配人が待っている」と言っていました。
デイサービスに行くようになって、足のむくみがなくなった!
デイサービスに行きだした頃は、つかまり立ちで何とか歩けた母です。両足のむくみがひどいのが、その時の私の心配事でした。
デイサービスでは、足のむくみがなくなるように、足湯や、歩行訓練、エルゴ運動など、いろいろと取り組んでいただきました。
夏が終わる頃には、嘘のように、むくみがほとんどなくなっていたのです。母が通っているデイサービスが温泉ということも大きかったのかもしれません。
ある日、デイサービスから電話がありました。リハビリ担当のスタッフの方からです。歩行訓練中に母が段差で膝折れしてしまったと言う報告でした。
それを聞いた瞬間「転倒・・・骨折・・・」そんなことが私の頭に浮かびました。
しかし、膝折れしただけで、その後は普通に歩行訓練を行っていると言う説明を受け「怪我もなく普通に歩いているなら大丈夫ですよ」とお伝えしました。
歩行訓練を含め、いろいろ取り組んでいただいているからこそ、母の足のむくみもとれたので、こちらが感謝しているのに、スタッフの方は、とても反省されていて、何度もあやまり「見守りをもっと強化します」とおっしゃいました。
高齢者を長時間預かるお仕事だから、とても大変だと思います。介護に携わるスタッフの方たちのご苦労がわかった瞬間でした。
デイサービスの夏祭りで、好きなものを食べる
介護施設で開催される夏祭りに出向いたことがあります。たくさんの利用者の方とご家族も参加されていました。花火も上がり、出店もあって本当のお祭りでした。
スタッフの方が作っていらっしゃる焼きそばを、母と一緒に食べました。
私が子供の頃、母はとても厳しく、お祭りに行っても、衛生的に良くないからと、出店の食べ物はまったく買ってもらえませんでした。
ひとつだけ買ってもらえたのは“わたがし”です。“わたがし”は「袋に入っているから大丈夫」と言っていました。
そんな母が、何のためらいもなく、焼きそばをパクパク食べていたことも私にとっては、意外な一面でした。
射的もありました。まだつかまり立ちができていた母は、ふらふらしながらも、射的に挑戦したのです。残念ながら、当たりませんでしたが、とても楽しそうでした。残念賞として、タオルをいただきました。
このとき母は「タオル~もっといいのをちょうだい!」と言って大きな声で笑っていました。
かき氷も食べました。母は糖尿病なので「血糖値が上がるから、かき氷はやめた方が良くない?」と言ったのですが、「食べたい時に食べる。食べたいものを食べずに死んだら後悔する」と言うのです。
それでなくても、この日は、いろいろと食べていました。少し抵抗はありましたが、“楽しい気分の時くらいは”と多めにみたのです。
しかし、この日の就寝前の血糖値は、やはりびっくりする数値でした。
とは言っても、この頃の母の症状は、インスリンと飲み薬、そして食事にさえ気をつけていたら、血糖値は安定していましたので、私もそこまでは意識はしていませんでした。
しかし、糖尿病はとてもこわい病気です。
現在、母は、褥瘡で入院しています。褥瘡が出来た時、糖尿病の影響からか進行がとても早く、皮膚科には通院していたのですが、別の病院を紹介され、紹介された病院の初診時、いきなり2日後に手術と言われました。
そして、手術を終えた現在も、糖尿病がない方とは比べ物にならないほど回復が遅いという状況です。
孫にせがまれ、怖くて乗らなかったロープウェイを楽しむ
何かにつかまりながら、ゆっくり歩く母。母は、転倒で右手首を骨折したことがあるので、見守る私は、いつもハラハラしていました。
「どこ行くの?危ないよ!」私から、ことある毎にそのように言われ、「大丈夫!」と言いたかったのか、ネコを抱いて庭に出たことがあります。
庭から私を見て「ほら大丈夫でしょう」とほほ笑む母に「そうね。でも、もう部屋に入って」とお願いする気持ちで答えた私でした。この時は、ネコが急に飛び降りて、母がまた転倒するのではないかとヒヤヒヤしていました。
そんな母が、いつまで、自分の足で歩けるかわからないと考えていた時期でもあります。
歩けるうちにと思い、近くではありますが家族旅行によく出かけました。ロープウェイに乗ろうと言った時、ここでも怖がりの母は、「高い所はいや」と言って、なかなか乗ろうとしません。
せっかく来たからどうにか乗せようと思い、私から何度も言ってみましたが、素直に聞かず、孫が「いっしょに乗ろうよ」と言うと「仕方ないね~」と言いながら何とか乗ったのです。子供より孫が可愛いとよく聞きますが、母もその一人のようです。
ロープウェイが、いちばん高い所にきたころ母を見ると、よほど怖かったのかしっかり目をつぶっていました。孫が「ほら見て!」と声をかけると、そっと目を開けて、その景色に感動していたようでした。
ホテルでは、家族全員、浴衣を着てレストランへ行きました。和服をよく来ていた母ですが、この日、久しぶりに浴衣を着て歩く母の姿を見ました。
もしかしたら、母のそんな姿は、もう見ることはないかもしれません。
たくさん並べられた料理に、糖尿病であることを忘れ、おいしそうにたくさん食べていました。
後日、連絡帳で旅行に行った内容を見られたスタッフの方が、母に「旅行は、どうでしたか?ロープウェイ怖かったですか?」と聞かれたそうです。
旅行に行ったこと、ロープウェイに乗ったこと、それ自体を覚えていたのか?それは、わかりませんが、その質問に対し即答で「ロープウェイ乗ったよ!怖くなんかないよ!」と答えたそうです。
この頃は、いろいろと忘れることは多かったのですが、その瞬間の会話(受け答え)やジョークは、認知症とは思えないほど、とても早く的確だったことに、私もスタッフの皆さんも驚いていました。
激しい台風の翌日、そのことを忘れる
その日は、台風直撃で、とても激しい暴風雨でした。
母の部屋の前に洗濯物を干せるくらいのスペースがあります。そのスペースの屋根が波板だったので、完全に剥がれて飛んで行きました。
大きな音がするたびに母の部屋を見にいったのですが、波板が飛んだ時も、「大丈夫?」と声をかけると「何が?そう言えば今なにか音がしたね」と言う感じでした。
恐怖心がなくなったのか、あるいは、その瞬間は驚いてもその出来事を記憶していないのか、事実はわかりませんが、そのあともぐっすり眠っていました。
私が子供の頃、台風がくると、事前に食料を買い込み、水をためて、外にある物が飛んで行かないようにヒモで縛り、ガラスにガムテープを貼って、懐中電灯も準備して・・と、かなりの大騒ぎをしていた記憶があります。
そんな母だから、台風がきてもよくわかっていない状況は、ある意味、良かったのかもしれません。
台風が去った翌日、デイサービスに行きました。スタッフの方が、「昨日の台風大丈夫でしたか?」と母に聞かれたそうですが、母は「台風?いつ台風がきた?」と言っていたそうです。
すっかり、記憶から消えていました。
「覚えていない。忘れる。」という症状は、心配なことでもありますが、嫌なことや怖いことを忘れるという意味では、幸せなのかもしれません。
子供の頃は気付きませんでした。でも、大人になって客観的に母を見ていると、実はとても臆病で何にしても怖がり、そんな人だと思います。
そんな母なのに、母と私だけの生活で頼る人もなく、危険なことがあれば、精いっぱい背伸びして、私を守ろうと必死だったのだと思います。
デイサービスのズボン(備品)を借りてきた日
夏がもうすぐ終わる頃、連絡帳にショックな内容が書いてありました。「ズボンを1枚貸し出しております。次回返却頂けますと助かります」と。それは、初めての失禁でした。
この頃自宅では、問題なく、自分でトイレに行っていました。
デイサービスでは、見守りと利用者の体調管理のために、排便や排尿の確認をされる場合があります。母の場合も、付き添ってトイレに行かれるそうですが、この頃の母は、まだ羞恥心があり、確認しようと思っても、中から鍵をかけるので、難しいと報告を受けていました。
その日は、白っぽいズボンを履いており、濡れているのがわかったそうです。ショックでした。
デイサービスに行く日は、毎回、入浴後の着替えとして洋服と下着を1セットずつ持参していましたが、それ以降、ズボンと下着の着替えを、もう1セット追加で持参するようにしました。
それでもなお、デイサービスからズボンや下着を借りてくることが、だんだんと多くなっていきます。