家族の負担の限界
家族の負担の限界
家族が認知症(旧痴呆症)になった場合、介護する家族には様々な問題が待ち受けています。ここでは、ケースとしてありうる介護者(家族)の負担の限界について考えてみます。
認知症とわかって現れる、様々な問題
家族が認知症になったことがわかると、いえそれ以前から様々な症状によって、家族にいろいろな問題が生じてきます。
診断から介護認定、介護保険開始、サービス事業者の選定など、手続きだけでも多数あるのに加えて、日常の生活の変化です。物忘れが進行してくると、本人が持っていた仕事や財産、日常の情報などの継承が困難になってきます。
例えば、以下のような問題があります。
- 銀行口座や預金がどれだけあるのか
- いつも通っていたかかりつけ医は誰なのか(特に本人が一人暮らしだったり、夫婦だけで暮らしていた場合など)
- 不動産や株などはどれだけあるのか
- 今の住まいは誰の名義なのか
忘れてしまっては調べが困難なものがあります。できる限り早めに調べて把握しておき、青年後見制度などの利用で、家族が管理する必要も出てきます。
家族間で持ち上がる、介護の問題
家族や親族の中で、介護の問題が発生します。
- 誰が介護をするのか
- 兄弟間の相続問題
- 在宅介護か施設介護か、同居介護か別居介護かの、本人や家族間の意思の行き違い
- 介護者の離職・転職問題
- 介護に端を発する介護離婚
- 介護費・医療費の問題
- 介護者の人生の問題
その他、細かいところでは様々な問題が持ち上がる可能性があります。
例えば、
- 介護は長男の嫁がやるもの
- 独身者がやればいい
- 実の子供である夫がやるべき
など、自分が負担をかぶりたくないと言う考え方や、古い時代の家族像を踏襲したような考え方で、長男、長男の妻、独身者などが介護を押し付けられたり暗黙のうちに担わされるケースも、珍しくないでしょう。
しかし、経済的問題を含めて、可能な限り家族間でよく話し合い、それぞれが自分の人生をおくれるようにうまく介護サービスを利用し、過度な負担がない方法を探っていかないと、体力的にも精神的にも経済的にも介護者が破綻することにつながりかねません。
老老介護の危険
65歳以上の高齢介護者の3割以上が「死にたい」という気持ちを抱くことがある、という報告があります。いわば老老介護の場合です。
介護とは一般に長期にわたって続くもので、症状は次第に進行していくので、介護者の負担も増していき、いわば「終わりがない」と思える状態続くことが多いでしょう。
介護者自身もどんどん年をとっていくため、体力的にも精神的にも追い詰められて、最後は絶望的になり、「楽になるために」自殺や心中といった考えが浮かぶことにもつながります。(参考:介護殺人の加害者の7割が男性だという調査結果)
そしてこのような場合、追い詰められるのはむしろ介護に誠実・一生懸命な人だといわれます。何事にも正直に対応するため、負担も疲労も絶望感も、深く大きいものに感じるのかもしれません。
介護者が「死にたい」から離れるために
「終わりのない」介護を、どうやって継続していくか。これは介護者の環境、条件、家族構成など、様々な要因が絡んでくるので、一つの答というものは無いと思います。どんな場合であれ、生易しいものではないはずです。
しかし、言えるのは「介護者一人が背負ってしまわないように」少しでも介護サービスやボランティア組織、家族の会など、あるいは周辺に住む人々などに助けを求めることが必要であろうということです。
助けを求めるのは悪いことではありません。助けといっても、できることもありできないこともあり、経済的・物理的にも限度があるかもしれません。しかし、助けを求めずに無理を続ければ、介護者が倒れたり、認知症の人も生きていけなくなる可能性があります。
介護者が倒れないように、「死にたい」という気持ちから少しでも離れられるように、介護者が自分の人生を送ることができるように、正当な助けはどんどん借りるべきだと考えます。