認知症の人の気持ち
認知症の人の気持ち
当サイトでは認知症の症状を見守ったり介護したりする「家族の対応」について考えていますが、認知症(旧痴呆症)の本人はどのような気持ちなのでしょうか。
認知症では、周りの人にとってそれとわかる症状になってからは、既に物忘れは進行していて、いろいろな認識ができなくなっているため、本人の気持ちや感覚を本人から聞いたり察したりすることは、ほとんど困難です。
また、そもそも認知症であることを本人に告知していないので、症状による苦しみや不安、あるいは周囲に対する感謝や安心感などを聞くことはできない、というケースも多いでしょう。
認知症ではない人であっても、人の気持ちを理解するのは難しいのです。ましてや自身の認識が不安定で表現力も衰えてくるのでは、なおさらです。
ただし昨今では、高齢者ばかりでなく、若年性の認知症の人が社会に対して発言する機会が出てきているので、症状を持つ本人の気持ちが少しずつ外部に対して語られることがあるようです。
ここはどこ、自分は誰なのか
見当識障害とは、
- 「ここはどこなのか」
- 「いまはいつなのか」
- 「あなたは誰なのか」
などの、場所・時間・人に対する認識が失われていく症状です。これらは、認知症ではない人であれば、全く意識せずにあたりまえのように行っている認識です。これらが失われたとき、本人はどのような気持ちなのでしょうか。
あるとき、自分がどこにいるのか、今が夏なのか冬なのか、何月何日なのか、朝なのか夜なのか、そばにいる人が誰なのかわからなくなったとしたら、おそらく恐怖に駆られるでしょう。いきなり知らない空間に放り込まれたと感じて、そこから逃げ出そうとするかもしれません。そして、その恐怖をうまく言葉にすることもできないとしたら、不安や怒りのため、大声を出したり、乱暴になったりするかもしれません。
私たちに置き換えてみると、とても恐ろしい状態であると想像できます。
思わぬことで責められる
記憶障害によって、したことそのものを忘れてしまいます。
例えば、電話で話した内容ではなく、電話したこと自体を忘れてしまいます。家族からは「電話で伝えた」「約束したことだ」と責められたとしても、全て忘れてしまっているのですから、本人にとっては何を言われているのかすらわかりません。
また逆に、自分が経験したことを伝えても「そんな事実はない」「思い込みだ」と否定されます。これは妄想と言われますが、実際に起こったこと本人がそう認識していることにズレが生じることから起こるようです。事実ではないことを、事実だと思い込んでしまう症状です。
この症状も、「本人にとっては事実」であるので、なぜそれを否定されるのかわかりません。指摘したり叱ったり、あるいは言い聞かせようとすると、本人はプライドが傷つけられたと感じ、とても悲しかったり怒りを感じたりするでしょう。そして、初期の頃では自分が妄想を抱いていることを悟ることもあるので、そんなときには自分で自分が信じられなくなることでしょう。
自分をコントロールできない
例えば物を忘れていくことは、本人にはどうにもできないことです。認知症の初期の頃では、自分の物忘れに気付くと、食い止める手立てはないかといろいろ考えてみます。忘れたくないことを何度も確認してみるとか、メモを貼ってみるなど、努力します。しかしやがてメモしたこと自体を忘れてしまうので、食い止めることができません。
もの忘れのほか、判断できない、思考が回らないという症状であっても同様です。本人は、自分自身をコントロールできない状態なのです。これは本人がこれまで生きていてあたりまえのように持っていた「自由」を奪われていくことにほかならず、大変苦しいことです。