認知症のはじまり(愛犬の死)
2012年の雨の日、その出来事は突然やってきました。
愛犬が老衰で天国へ旅立ってしまったのです。
愛犬は、生後2か月の時に家族になりました。それから18年もの間、ずっと母を見守り続けてくれたように思います。
愛犬を天国へ見送りに行った時、そこに“犬と人間の標準年齢換算表”がおいてありました。それによると、犬の18歳は、人間であれば88歳とのことです。
当時、母は79歳でしたので、愛犬は母よりもっと年齢を重ねていたと言うことになります。
母と愛犬は、何をする時もいっしょでした。庭でバーベキューをしていても、母の隣にずっとついていました。
愛犬も老いて、自分の体もつらかったと思いますが、母が家の中にいる時も、外からずっと母を見守っている姿がありました。
母と老犬が、おなじように足を引きずりながら庭で寄り添う姿が忘れられません。
愛犬の最後に立ち会ったのは、母一人でした。私が帰宅した時、母は、庭に横たわる愛犬に傘をさしかけ、茫然と立ちすくんでいました。この時、母は、愛犬の死を受け止められなかったのかもしれません。家族の誰よりも、大きなショックを受けていたと思います。
振り返ると、この出来事が、母の認知症のはじまりだったように感じます。
母の言動の変化にも、認知症とは思えず
愛犬がいなくなって、少しずつ母の様子に変化がありました。
「あれがない」「これがない」と口癖のように度々言いましたが、それは、誰もが年齢を重ねれば忘れっぽくなるものなので、私はまったくと言っていいほど気にしていませんでした。
私に電話をかけてきて、(愛犬はもういないのに)「愛犬のおやつがないから買ってきて」と言ってきたこともあります。
それは、愛犬がいなくなったことがショックで勘違いしているのだと思っていました。
ある日、私に意味不明なことを言ってきたこともあります。
内容を聞いていると、“母が若いころ姉妹と一緒に行った場所”の話でした。母は、普通、自分のことを「わたし」と言いますが、姉妹や友人と話す時は「うち」と言います。この時も「うちがね・・」と言っており、私を叔母と間違えて話しかけてきたようです。
「何の話?お母さん!」とあえて言ってみました。
私の言葉で我にかえったようで、「私、今、変なこと言ったね。自分でわかった・・・」と言いました。私も驚きましたが、本人がいちばん戸惑っていたようでした。
6年後の現在は、自分の言ったことを5分も経つとすべて忘れてしまいます。忘れると言うより、最初から記憶してないと言うべきかもしれません。
でも、“自分が変なことを言ったとわかる時期“この頃の母は、とても不安だったと思います。
そんなことがあっても、私は、認知症という考えはまったくもたず、その時も、笑い話で終わりました。
認知症の引き金となる出来事(右手首骨折)
長い入院生活と利き腕である右手骨折が、認知症の引き金となりました。
2013年夏。この時も雨が降っていました。
母は、雨が降ると、犬小屋に雨が入らないようにと毎回犬小屋の向きを変えていました。
愛犬はもういないのに、この時も、向きを変えようとして足がもつれ、転倒してしまったのです。
幸い、外傷はなかったのですが、「手が痛い」と言うので、もしかしたら、ひびが入っているかもしれないと思い、念のため整形外科へ行きました。
検査結果は、まさかの“右手首骨折”でした。高齢になると骨も弱くなり、ちょっとしたことでも骨折してしまうそうです。
ここで、問題が発生しました。
手術が必要でしたが、糖尿病の母は、この時、血糖値がとても高かったのです。主治医より、「糖尿病がある人は、手術後の治りが遅く、悪影響があるため、この状態では、すぐに手術はできません。まずは、内科に入院し、血糖コントロールをする必要があります」と説明を受けました。
ちょっとした転倒が入院や手術までしなくてはならなくなり、困惑しましたが、早速、通常通院している内科に入院しました。この病院は、長く通院しているため、主治医や看護師に顔見知りも多く、母も入院することに抵抗はなかったようです。
血糖コントロールのための入院期間は、1か月かかりました。
ようやく血糖値が落ち着き退院しましたが、自宅に戻ることなく、そのまま整形外科へ入院しました。母は盲腸の手術もしたことがなく、手術に対し、とても怖がっていました。それでも、何とか無事に手術が終わり、リハビリを頑張る日々が続きました。
入院前は、インスリン注射も主治医から指示された単位を自分で把握し、数多い飲み薬も自分で管理していました。
しかし、入院中は、病院だから当然のことですが、内科入院の1か月も含め、インスリンの注射も、飲み薬もすべて、病院側でされます。その時は、何も考えなかったのですが、この環境の変化が、認知症発症のきっかけになったと思います。
3か月以上の入院がもたらした大きな変化
リハビリのための通院も含め、トータル3か月以上の入院生活を終えて母が帰宅しました。右手がまだ使えないので、退院後はインスリンも私がするようになりました。
少し経過して、手首もそろそろ良くなってきた頃、何度か自分で注射するように勧めてみましたが、「手首が痛いし、針をお腹に刺すのが怖い」と言い続け、それ以降、母が自分で注射することはなくなりました。
同時に薬を準備することも、飲むことさえも忘れてしまうようになりました。仕方ないので、食事毎に、薬をテーブルに置いていましたが、それでも飲み忘れる状態です。
月に一度の内科通院も、バスを利用して行っておりましたが、一人で行くことが不可能になりました。
また、診察時の主治医との会話も、その時はちゃんと聞いて、受け答えもしっかりしますが、あとから聞くと、内容はまったく覚えていないという状態でした。
そんな症状が出てからは、通院も毎回同行することになりました。
今まで、母が一人で通院しており私が主治医と話すこともなかったため、母の病状がどんな状態でどんな薬をだされているのか等、ここで初めて知ることになります。
高齢者にとって、環境の変化はとても大きな影響があります(当サイト参考:環境の大きな変化で認知症に)。
今、考えると、この時すでに、認知症の症状が現れているとわかりますが、この頃までは、私は、認知症を他人事のように考えていたり、「自分の親に限って」と思っていたのだと思います。ほんの少しも「もしかして?」とは思いませんでした。
しかし、今回のことを、きっかけに、確実に認知症の症状が現れてきて、母と私の介護生活がスタートすることになります。