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【30代で発症】若年性認知症だが仕事を継続し、認知症相談窓口も開設1

【30代で発症】若年性認知症だが仕事を継続し、認知症相談窓口も開設1

若年性認知症は、50代で発症することが多いと言われていますが、仙台市の丹野智文(たんの ともふみ)さんは、34歳の時に認知症の症状が現れ始め、2013年の4月、39歳の時に若年性アルツハイマー型認知症という診断を受けたそうです。

丹野さんが診断を受ける前の様子や、診断を受けてからも会社で仕事を続けていること、そして、相談窓口を開設して活動を行っていることについて見ていきましょう。

30代で若年性アルツハイマー型認知症の診断を受ける

丹野さんは大学を卒業後、大手系列の自動車販売会社で営業職として働いていました。常に顧客に寄り添うことをモットーにし、営業成績はトップクラスで、担当する顧客の数は400人近くにのぼったそうです。

そんな丹野さんが自分自身に異変を感じるようになったのは、若年性認知症の診断を受ける5年前の34歳の時でした。

物忘れが増えたことが気になったものの、最初は多忙によるストレスではないかと考えていたそうです。しかし、だんだんと細かいメモを残しておかないと仕事の内容を忘れるようになり、自分の大切な顧客の顔も忘れてしまうようになりました。

訪問先のマンションの部屋番号がわからなくなり、駐車場に止めてある車に戻って再確認しても、やはりすぐに忘れてしまうということもあったそうです。

それでも、懸命にメモを書いてどうにか仕事をこなしていた丹野さんですが、ある日、同僚の顔と名前までがわからなくなって、自分が普通ではないことをはっきりと認識し、2012年のクリスマスの日に脳神経外科医を受診しました。

医師からすぐに専門病院を紹介されて検査入院し、さらに転院先の大学病院で1カ月の検査入院の結果、2013年4月に、若年性アルツハイマー型認知症と確定診断されたのです。

丹野さんは、まだ39歳でした。

 

会社からの職場復帰の声

若年性アルツハイマー型認知症の診断を受けた丹野さんは、インターネットで病気のことを調べていくうちに、「2年後には寝たきりになる」とか、「10年後には死亡する」とか、悲観的な情報ばかりを目にして、改めて強いショックを受けました。

当時、子供はまだ小学生と中学生で、住宅ローンも抱える身でしたから、深い絶望感を感じずにはいられなかったそうです。

区役所へ行って相談しましたが、たとえ若年性アルツハイマー型認知症であっても、40歳以下は介護保険の適用外であり、受けられる支援は何もないという回答だけが返ってきたとのことです。

主治医は、病名を会社に告げることで仕事が続けられなくなるのではないか、と案じてくれました。既に、担当していた顧客もすべて後輩に引き継いでいたので、営業職として職場復帰できないことはわかっていました。それでも、丹野さんは奥さんと2人で、仕事を失うことも覚悟の上でありのままを会社に伝えることを決めたのです。

ところが、病気のことを社長に伝えるなり、会社へ戻ってくるようにという返事が返ってきたのです。もともと人を大切にする会社ではありましたが、思いも寄らない返答で、本当にうれしかったそうです。そして、2013年5月の連休明けには、本社へ異動して事務職として職場復帰を果たすことができました。

 

メモを取り、人に聞き、集中できる時間帯を把握して仕事をする

丹野さんが異動した時、本社には数ケ月後に出産を控えた女性社員がいました。その女性社員は間もなく会社を離れることになっていたので、担当していた総務・人事関係の業務を、そのまま丹野さんが引き継ぎました。

営業職だった丹野さんには初めての仕事ばかりでしたが、営業職の時も常に心掛けていたように、ノートにメモを取りながら仕事を進めているそうです。

パソコンの操作の手順から書類の置き場所に至るまで、こと細かくメモをしていますが、やはり、メモを見ないで頭で覚えて仕事をすることは困難であるそうです。必要な仕事を終えたかどうか忘れることを防ぐため、別のノートに必ずチェックをするよう工夫もしています。人の顔だけはノートに書けないので、わからない時は周りの人に聞いているそうです。

勤務時間については、若年性認知症であっても敢えて特別な配慮は求めず、最初は会社で決められた時間通りの勤務でした。しかし、のんでいる薬の副作用で疲労を感じる夕方はどうしてもミスが目立ってしまうため、1時間早く退勤することになったそうです。

昼食後には、20~30分の仮眠も取らせてもらっています。仕事の内容と時間帯にも気を配り、集中力が落ちていない始業直後や仮眠後に、複雑な業務を済ませてしまうそうです。

営業職の時は実績によって歩合給が加算されていたので、今はその分が少なくなっていますが、通常の事務職の給与体系で勤務できているとのことです。

 

仕事を続けていて苦労していること

ひとりで通勤していると、途中で会社の最寄り駅を忘れることが、苦労のひとつであるそうです。そこで、自分は認知症であることを書いたカードを作り、降りる駅の名前と会社の住所も書き加えました

カードは常にパスケースに入れて身に着けておいて、どうしても困ったときは周りの乗客に見せて、助けてもらうのです。カードを眺めていただけで声を掛けてくれる乗客もいるそうで、誰もが親切に手を差し伸べてくれるそうです。

当然ですが、認知症でない人には、認知症の人がどんなことで困っているのかわかりにくいこともあるようです。

丹野さんは、自分でできることは精一杯やるけれど、自分では難しいことを苦労してやるのでなく、周りに伝えて助けを求めることが大切であると感じているそうです。

同じことを繰り返して周りに聞くこともあるし、認知症が少しずつ進行していることを周りの人たちも気づいているようではありますが、丹野さんに任せられる仕事かどうかの配慮もしてくれているようです。しかし逆に、丹野さん自身が営業で苦労もしながら培ってきたノウハウを、後輩に教えることもあるそうです。

後輩が顧客と商談をしている時に、丹野さんが助け舟を出して成約に結びつけたこともあるそうで、できることは精一杯やるという丹野さんの姿勢は、社内での理解や評価にも繋がっているようです。

丹野さんは認知症の進行を抑えるために飲んでいる薬のせいで、頭が重い状態が続いていることにも苦労しているそうです。

いくらメモを取っていても、仕事ではやはり記憶することが必要なので、薬は通常より多めに飲んでいるそうです。そうすると脳が活性化し続けている状態になり、眠っている間も夢ばかり見るとのことです。

夢の中でも一所懸命に何かを考え続けているため、眠っているのに疲労してしまうそうです。そのためにぐっすり眠れず、夜中に何度も目が覚めるので、職場で昼食後に仮眠を取れる場所を提供してもらって、脳を休ませながら仕事を続けているとのことです。

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